2008年12月10日
宇治・平等院 阿弥陀如来
待ち合わせ指定時間まで、後10分となったので、池の周りの撮影は終わり。そして指定場所に戻る。
鳳凰堂の中は、撮影禁止なので、この記事には写真がつかないよぉ。その代わりに右側面の写真を。
右にある赤い橋を渡って鳳凰堂に入ります。
何年ぶりになるか。息子が大学に行っているときだから、もう15年位前になる。その前にも一度来ている。それは大学の修学旅行(変な大学でしょう?当時は、全学生が参加する正規授業なんです)
過去二回の拝観のときに思ったことは、建物が荒れていること、阿弥陀如来の手入れもまともされていないこと、これらが嘆かわしかったことだ。
それから一度、修復が終わったころにお誘いがあったのだが、なんとなくそれを断ってしまっている。
それからもう何年になるか、来よう来ようと思いながらいつも日野どまりだった。今回は日野から北の紅葉があまりきれいでないと聞いたので、それならば阿弥陀さんを見に来ようということで、やっと長年の念願を果たすことができたわけである。
同じ時間の入場者といっしょに入っていく。確か以前は靴は脱がなかったかと思うけど、今回は靴を脱いで入場した。たてものは、思ったほどの修復ではない、確かに多少きれいにはなったが、根元の腐食はもうどうしようもないのだろう。とはいえ、このままでいいのかという疑問が出るほど痛々しい感じがする。800年以上になるのかな?末法の時代といわれた、浄土信仰隆盛の時代の建物だから、荒れてしまうのも致し方ないが、今回の修復までの手入れが悪すぎたように思えてならない。
阿弥陀如来の方丈に入る。阿弥陀さんは確かにきれいになりました。しかし、一度はがれた金箔は元に戻せないから、あばた面はなんともしょうがない。やはり、法界寺の阿弥陀さんとよく似てはいるが、私としては、法界寺の阿弥陀如来のほうが出来がいいと思うし、また保存もいいと思う。
ついさっき見てきた法界寺の阿弥陀如来との違いを探す。かなり違うなぁ。まず光背はこちらのほうが立派である。日野家と藤原本家との経済力の差が出ているのか? 正面の顔は、平等院のほうがきつくか難じる。目の半眼のつくりが違うからだろう。それにひげも。あごの丸みもかなり違う。
残念なことに真横には回ることができない。できるだけ横顔を見ることができるところに移動してみたが、横顔がかなり薄っぺらく感じた。法界寺の阿弥陀如来は、本当にふくよかに丸く作られている。
一説には兄弟といわれそうな二体の阿弥陀仏だが、誰もこれまで比較研究したことはないのだろうか、できればしてみたいものなのだが。
たくさんの人に混じっての拝観で、じっくりと見ることができないのが本当に残念である。仏教美術の学者にでもなってみたかったものだ。何をいまさら・・・・
法界寺阿弥陀如来
平等院阿弥陀如来
どこかの大学のゼミだろうか? 大学生と思しき集団がいる。担当教授だろうか、少し年が行った女性がいる。何の目的なのかは、わからないが、彼らの会話からは、らしきものが聞こえてこない。
こうしたものを見るために来るゼミとなると、仏教美術となれば美大か、歴史講座を持つ文学部、そんなところかなぁ。 しかし、美大ではないな。 個性がなさすぎる。 ん~~~
この阿弥陀如来の前で、勘弁してくれというものも有った。海の向こうの家族が来ていたのだが、幼児を二人連れている。彼らにしてみればこんなの見たくないとばかりに大きな声で騒いでくれる。親が『シ~~』とするものの、聞かないわなぁ。。彼らにエチケットを説いてもねぇ。。
鳳凰堂の中は、撮影禁止なので、この記事には写真がつかないよぉ。その代わりに右側面の写真を。
右にある赤い橋を渡って鳳凰堂に入ります。
何年ぶりになるか。息子が大学に行っているときだから、もう15年位前になる。その前にも一度来ている。それは大学の修学旅行(変な大学でしょう?当時は、全学生が参加する正規授業なんです)
過去二回の拝観のときに思ったことは、建物が荒れていること、阿弥陀如来の手入れもまともされていないこと、これらが嘆かわしかったことだ。
それから一度、修復が終わったころにお誘いがあったのだが、なんとなくそれを断ってしまっている。
それからもう何年になるか、来よう来ようと思いながらいつも日野どまりだった。今回は日野から北の紅葉があまりきれいでないと聞いたので、それならば阿弥陀さんを見に来ようということで、やっと長年の念願を果たすことができたわけである。
同じ時間の入場者といっしょに入っていく。確か以前は靴は脱がなかったかと思うけど、今回は靴を脱いで入場した。たてものは、思ったほどの修復ではない、確かに多少きれいにはなったが、根元の腐食はもうどうしようもないのだろう。とはいえ、このままでいいのかという疑問が出るほど痛々しい感じがする。800年以上になるのかな?末法の時代といわれた、浄土信仰隆盛の時代の建物だから、荒れてしまうのも致し方ないが、今回の修復までの手入れが悪すぎたように思えてならない。
阿弥陀如来の方丈に入る。阿弥陀さんは確かにきれいになりました。しかし、一度はがれた金箔は元に戻せないから、あばた面はなんともしょうがない。やはり、法界寺の阿弥陀さんとよく似てはいるが、私としては、法界寺の阿弥陀如来のほうが出来がいいと思うし、また保存もいいと思う。
ついさっき見てきた法界寺の阿弥陀如来との違いを探す。かなり違うなぁ。まず光背はこちらのほうが立派である。日野家と藤原本家との経済力の差が出ているのか? 正面の顔は、平等院のほうがきつくか難じる。目の半眼のつくりが違うからだろう。それにひげも。あごの丸みもかなり違う。
残念なことに真横には回ることができない。できるだけ横顔を見ることができるところに移動してみたが、横顔がかなり薄っぺらく感じた。法界寺の阿弥陀如来は、本当にふくよかに丸く作られている。
一説には兄弟といわれそうな二体の阿弥陀仏だが、誰もこれまで比較研究したことはないのだろうか、できればしてみたいものなのだが。
たくさんの人に混じっての拝観で、じっくりと見ることができないのが本当に残念である。仏教美術の学者にでもなってみたかったものだ。何をいまさら・・・・
法界寺阿弥陀如来
平等院阿弥陀如来
どこかの大学のゼミだろうか? 大学生と思しき集団がいる。担当教授だろうか、少し年が行った女性がいる。何の目的なのかは、わからないが、彼らの会話からは、らしきものが聞こえてこない。
こうしたものを見るために来るゼミとなると、仏教美術となれば美大か、歴史講座を持つ文学部、そんなところかなぁ。 しかし、美大ではないな。 個性がなさすぎる。 ん~~~
この阿弥陀如来の前で、勘弁してくれというものも有った。海の向こうの家族が来ていたのだが、幼児を二人連れている。彼らにしてみればこんなの見たくないとばかりに大きな声で騒いでくれる。親が『シ~~』とするものの、聞かないわなぁ。。彼らにエチケットを説いてもねぇ。。