2009年01月04日
初夢は・・
毎年それなりに夢を見て、あるときにはしっかりとした記憶が残ったりするものだが、今年は昨年末の白内障手術後に安定剤を服用して就寝することが多いので見てはいるものの記憶に残らない。
どうも見ている夢は、またまた遠くに旅行しているようで、起きると疲れがたまっている。多分病理的にはなにか問題がありそうだが・・・
これまでの初夢での鮮明なものは、もうすでにこのブログにも書いた『緑の山の中の真っ赤な鳥居』である。
これは、数年後に現実に見たものだが、よく言われるデジャブーそのものだった。このときは、夢の中で北海道余市から始まって、ナンやら車を運転して遠い遠いところを旅行した。
この赤い鳥居を見た後に、なんとなく古臭いコンクリートの建物のある町の中に入り込んでもいたのだが、これはいまだに出会っていないので、いずれまたどこかに旅行したら出会うかもしれない。
夢の中で診たものが現実になることはよく経験している。
もう何十年も前の話だが、これも車で走っていてものすごく長いコンクリートの塀の横に出た。これは名古屋市内での話しで、市内の南から北に向いて走っているときに出会ったもので、どうも状況から地下鉄の名港線の車庫の横のようである。(ひょっとしたら高畑の車庫かもしれない)
なんにしても、よく記憶にあるのはドライブの延長だ。
いろいろ見てきた夢での最たるものは、昨年10月に連載した「親鸞と真佛」の取っ掛かり部分だろう。夜中に夢の中でこれに気づいて、飛び起きてそのまま文章を書き上げたことだ。
五木・親鸞の中で、昨年末の部分で「磯長の夢告」があったが、多分に親鸞が日ごろ思い描いている潜在意識の部分が夢として解決させることになって行くきっかけになったのだろとおもう。
フロイトの『夢判断=精神分析入門』などの記述は今ではかなり希薄になったように思うけど、人間の夢は、『現実からの逃亡』『現実の願望の達成』などなどいろいろ、フロイトの言う性的なものばかりではないと思うのだが。
どうも見ている夢は、またまた遠くに旅行しているようで、起きると疲れがたまっている。多分病理的にはなにか問題がありそうだが・・・
これまでの初夢での鮮明なものは、もうすでにこのブログにも書いた『緑の山の中の真っ赤な鳥居』である。
これは、数年後に現実に見たものだが、よく言われるデジャブーそのものだった。このときは、夢の中で北海道余市から始まって、ナンやら車を運転して遠い遠いところを旅行した。
この赤い鳥居を見た後に、なんとなく古臭いコンクリートの建物のある町の中に入り込んでもいたのだが、これはいまだに出会っていないので、いずれまたどこかに旅行したら出会うかもしれない。
夢の中で診たものが現実になることはよく経験している。
もう何十年も前の話だが、これも車で走っていてものすごく長いコンクリートの塀の横に出た。これは名古屋市内での話しで、市内の南から北に向いて走っているときに出会ったもので、どうも状況から地下鉄の名港線の車庫の横のようである。(ひょっとしたら高畑の車庫かもしれない)
なんにしても、よく記憶にあるのはドライブの延長だ。
いろいろ見てきた夢での最たるものは、昨年10月に連載した「親鸞と真佛」の取っ掛かり部分だろう。夜中に夢の中でこれに気づいて、飛び起きてそのまま文章を書き上げたことだ。
五木・親鸞の中で、昨年末の部分で「磯長の夢告」があったが、多分に親鸞が日ごろ思い描いている潜在意識の部分が夢として解決させることになって行くきっかけになったのだろとおもう。
フロイトの『夢判断=精神分析入門』などの記述は今ではかなり希薄になったように思うけど、人間の夢は、『現実からの逃亡』『現実の願望の達成』などなどいろいろ、フロイトの言う性的なものばかりではないと思うのだが。
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この記事へのコメント
遠方へ行ってましてこのところブログ見られなくて・・・
今年もじっくり拝見させていただきます。
今年もじっくり拝見させていただきます。
Posted by えあらいん at 2009年01月04日 11:51
今年もよろしく、お願いします。
Posted by 生田 at 2009年01月04日 13:32