2009年04月23日
名古屋を歩く・中川運河 小栗橋
本当は、北から2番目の橋・猿子橋をと思ったのだけど、掲載に支障があるものになってしまったので、またの機会ということに。そこで、今回は3番目の橋、小栗橋を紹介する。
この橋は、今でこそ緑一色に塗りつぶされているが、昔はここまで塗りこまれてはいなかった。せいぜい欄干だけだったように思う。ただ、架け替え工事で昔の面影はまったくない。ただ、モノクロということであれば、有名な映像として残されている。
1981年公開の映画『泥の河』がそれだ。この映画の監督は、小栗康平さんでイメージにあう場所を捜し求めて、名古屋の中川運河で偶然にも自分の氏と同じ『小栗橋』に出会った。そして、当時のその周辺の景色がイメージにぴったりだったと言われている。
出演の加賀まりこ、田村高広、藤田弓子の3人のうち、加賀まり子はスケジュールの都合でこの地での撮影はなかったが、田村、藤田はこの地で長く撮影している。(ただ、私は、仕事の関係で撮影を見ることが出来なかった)
撮影のメインとなったのは、上の写真の右に見える白いもの(ある種の人の家です)の手前に小船を浮かべての撮影と、橋の上でも馬車が走ったと・・・(これは映画で見たし、いろいろ話を聞いたので)
昔は、上の写真のような建物の古いものが建っていたのです。
右の写真は、小栗橋西詰めの交差点にある祠のイチョウ。今は新緑ですが、秋になると見事に黄色くなります。
下の写真は、昨年の秋のもので黄色くなる前にとって、2週間後には散っていて一番きれいなときに取れなかった。
。
右の写真は、小栗橋から見たパノラマ(ケイタイ写真2枚を合成)
左方向が名駅を望み、猿子橋も見えます。右側は横堀で、先には山王の閘門(南北橋があります。正面は目下工事中の広住町の名古屋市の下水処理場です。な駆り長いこと工事してますが、完成はいつのことやら。
この橋は、今でこそ緑一色に塗りつぶされているが、昔はここまで塗りこまれてはいなかった。せいぜい欄干だけだったように思う。ただ、架け替え工事で昔の面影はまったくない。ただ、モノクロということであれば、有名な映像として残されている。
1981年公開の映画『泥の河』がそれだ。この映画の監督は、小栗康平さんでイメージにあう場所を捜し求めて、名古屋の中川運河で偶然にも自分の氏と同じ『小栗橋』に出会った。そして、当時のその周辺の景色がイメージにぴったりだったと言われている。
出演の加賀まりこ、田村高広、藤田弓子の3人のうち、加賀まり子はスケジュールの都合でこの地での撮影はなかったが、田村、藤田はこの地で長く撮影している。(ただ、私は、仕事の関係で撮影を見ることが出来なかった)
撮影のメインとなったのは、上の写真の右に見える白いもの(ある種の人の家です)の手前に小船を浮かべての撮影と、橋の上でも馬車が走ったと・・・(これは映画で見たし、いろいろ話を聞いたので)
昔は、上の写真のような建物の古いものが建っていたのです。
右の写真は、小栗橋西詰めの交差点にある祠のイチョウ。今は新緑ですが、秋になると見事に黄色くなります。
下の写真は、昨年の秋のもので黄色くなる前にとって、2週間後には散っていて一番きれいなときに取れなかった。
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右の写真は、小栗橋から見たパノラマ(ケイタイ写真2枚を合成)
左方向が名駅を望み、猿子橋も見えます。右側は横堀で、先には山王の閘門(南北橋があります。正面は目下工事中の広住町の名古屋市の下水処理場です。な駆り長いこと工事してますが、完成はいつのことやら。