2009年05月03日
憲法記念日
昨日は、5月2日で私には「孫の日」だった。
孫は夕方帰って行った。
なんか、火が消えたようで・・・・
一夜明けた今朝は、昨日がんばった分 体中が悲鳴を上げている。
今日は、憲法記念日。TVで憲法25条についての話をしていた。
最低生活を営む権利の話だ。
私は、子供の頃、これを「権利」だから最低生活ができなければ、できるように訴える権利を有していると思っていた。幸いそれを行使する機会はなかった。
実は子供の頃、何かの時に雑誌だったかの投稿か、ミニテストみたいなものの質問にこの25条の話があった。それに対して「権利の主張が可能」という回答をしていて、間違いという指摘をもらった。
「なぜ、権利なのに?」という疑問がその、今でも続いている。憲法に保障されている権利ならば、主張できてもいいはずなのだが、現実も問題としては「抽象的権利」「具体的権利」と法曹界でも意見が分かれているようだ。
しかし、この権利は国民の努力目標であるとともに、国、自治体、企業等々の抱える努力目標であってもいい、いやなくてはならないとも私は思う。不況になって、リストラという名目で、派遣切りをして補に放り出して、その人がどういった生活を送るのかを考えない企業には、この憲法に対する違反行為と指摘すべきではない過渡すら、極端に私はこの時期なら考えてもいいように思う。
憲法記念日は、何も「九条」だけを論じる日ではない。憲法そのものに定められた各条項をじっくりとその意味を問うべき日のはず。
平均的な生活向上が、26条を忘れさせてしまったいるのだろうか?
孫は夕方帰って行った。
なんか、火が消えたようで・・・・
一夜明けた今朝は、昨日がんばった分 体中が悲鳴を上げている。
今日は、憲法記念日。TVで憲法25条についての話をしていた。
最低生活を営む権利の話だ。
私は、子供の頃、これを「権利」だから最低生活ができなければ、できるように訴える権利を有していると思っていた。幸いそれを行使する機会はなかった。
実は子供の頃、何かの時に雑誌だったかの投稿か、ミニテストみたいなものの質問にこの25条の話があった。それに対して「権利の主張が可能」という回答をしていて、間違いという指摘をもらった。
「なぜ、権利なのに?」という疑問がその、今でも続いている。憲法に保障されている権利ならば、主張できてもいいはずなのだが、現実も問題としては「抽象的権利」「具体的権利」と法曹界でも意見が分かれているようだ。
しかし、この権利は国民の努力目標であるとともに、国、自治体、企業等々の抱える努力目標であってもいい、いやなくてはならないとも私は思う。不況になって、リストラという名目で、派遣切りをして補に放り出して、その人がどういった生活を送るのかを考えない企業には、この憲法に対する違反行為と指摘すべきではない過渡すら、極端に私はこの時期なら考えてもいいように思う。
憲法記念日は、何も「九条」だけを論じる日ではない。憲法そのものに定められた各条項をじっくりとその意味を問うべき日のはず。
平均的な生活向上が、26条を忘れさせてしまったいるのだろうか?