2009年05月31日

天地人 第22回 真田幸村

 真田幸村が登場。地とかっこよすぎるのと違うかな。それに、日本人離れしそうな顔やしね。

 それにしても、相変わらず緊張感がない。
 上田に援軍を送ったことになっているが、誰がいったの?それに戦闘シーンに越後勢がどう絡んでいtなおやら。わからないなぁ。
 確かに噂では奸計のうまかった真田が、親父がちょいと汚すぎるんではないか?娘もいやな顔をしていただろう?これでは、今までの真田の好印象が傷つけられるぞ。

 これで5ヶ月を過ぎたのだが、シーンの作り方が、どうも好きになれない。幻想的なものを作ろうとする方向が目立って、本当の精神的な動きが見えなくなってしまっている。
 それに、作られた話はけっこうだが、もう少し史実に基づいた緊張感のあるものを望みたい。昨年の「篤姫」が、華やかだった割には結構緊張感があったのに比べると、華やかさもいまいち、戦闘の状態のいまいち、緊張感に欠けるので、毎度毎度の期待が裏切られっぱなしでだんだん引いていきそうになる。この先半年(多分12月のはじめに最終回になるだろうから)見るに堪えるものに変わっていってほしいのだが。

 さて、ゆかりの地の案内
 上田城が出てきた。一昨年の秋に上田に行っている。2回目だったが、前はもう30年以上も前のことで記憶に残っていないが、もっと寂れた城跡だったように思うが、今は結構整備されてしまったように思う。ただ、真田が戦国時代に本拠としていたのは、今の上田城趾のところではなく、本城はもっと山の中だったらしい。
 今の跡地の上田城は、山側(北側)からの攻めにはそんなに強くないと思う。平地だからだ。堀が巡らされてはいるが、この方式は、戦国のものではないのでは?秀吉の世、15年の間に作ったものなら理解もできるが、守りには弱くはないだろうか?
 南側、こっちが北国街道になるとおもうが、こちらからは登りになるので、攻めるのはきついかな?

 どっちにしても、徳川に楯を突くことになる、上杉と真田の結びつきをあげいているのだが、何となくその意気込みが弱く感じられて。徳川の攻めにしてもいまいち、緊張感がないし、徹底ししているところもないし。

 次回の後になるのか。舞台は大阪に行きそうだな。
 一応前後区のすったもんだは多少収まる10数年の話になっていくのだろうが、戦国武将の駆け引きを主なものになるはずなのだが、今の女主体の流れで行くと、その期待も裏切られるのかなぁ。。。。

 もう少し、上越の町、直江津地区の紹介もみたいものだ。
 江戸の世になると、春日山城はなくなる。そして、高田に伊達ゆかりの松平の城になる。その前の上越を紹介してほしいものだが・・ この当時の国分寺はどんなものだったのだろう?ここまでのストーリーでは全く出てこないな。

 

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