2009年06月27日
名古屋を歩く 山王通 1
一昨日に続いて今日も実家からの帰りに金山まで歩いた。
ルートは、山王通を東進して別院の交差点まで、そして大津通を南下して金山に至る。
昔は、ドラゴンズの本拠地が中日球場(=ナゴヤ球場)にあったときには賑わいのあった名鉄「山王」駅。当時は、「中日球場前」駅だったかと思うが、私にはあまり縁のない駅だった。
柳原橋を渡って、山王通りに出て左折。そして新幹線、中央線、東海道線、名鉄のガードをくぐると駅に出る。そういえば、昨年の今頃はまだ敬老パスをもっらっていたなかったので、交通費を抑えるために神宮前から山王までを名鉄で通っていたのだ。もう一年も前・・・
今日は駅の東の通りの交差点の舗装工事をしている。歩道を歩けないなんて言ったら、青になったら渡っていいと言われ、まだ熱い熱いアスファルトの上を歩いた。
少し行ったところで右を見たら、神社がある。へぇ??こんなところに神社があったの?だいたいこの辺りを歩くなんて事はなかった私だから、知らないと言えば知らないのが当然。山王中学に通っていたら知ってはいただろうが・・・
少し戻って南に入る。どうも裏側に回ってしまったらしい。鳥居をくぐって中に入る。
神社の名前もこれでは分からない。ただただ、古いなぁと思うだけ。
境内に入ると、何本かのクスノキがある。全てが「保存樹」と書かれているようだ。数年前、この辺りで「クスノキの伐採」の反対運動があり、伐採しなくなったことがあったことを思い出したが、ここのこと?私の記憶では古渡交差点(東別院の西)の近くだと思っていたけど。かえってからネット検索しても該当するものに行きつかんないので不明・・・・
本殿は結構きれいにされている。多分にどなたかが管理なさっているからだろう。と、ここでも神社の名前が分からない。(知ろうとしないから分からないのかも)
写真を見ておわかりかと思うが、石灯籠などはかなり古くて地震でもあったら即崩れそうなので、あちこちの灯籠が転倒防止の鉄の枠で保護されている。地震はいつ来るか分からないものなぁ。。
本殿に向かって後ろが本当の正面の鳥居らしい。この鳥居には建てたのが大正で「名古屋市中区露橋」なんて彫り込まれていた。ひょっとしたら、まだ中川区が完全に名古屋市に編入されていない頃のことなのかもしれない。
この鳥居を正面から見て初めて「神明社」という名前であることを知った。石柱には「村社」と書かれているがやはり編入前の村の状態を思わせるものだ。
神社を出て山王通りに戻り、また東に向かって歩いていく。道路左手には一昨年だっけにできた「喜多の湯」がある。まだ五時前という時間なのに、結構車いるわ。
山王の交差点は、目下都市高速の工事中である。南北の幹線と別院方面からの西行きを南に乗り入れるカーブを作っている。チョットきついカーブなので、完成して走り始めるとまた自己が出る地点になりそうな気がする。
名古屋の都市高速は、高速道路ではないので、スピード出すとカーブでは曲がりきれないので、ご注意を。(公にされることはない設計速度。最高速度六十キロだから、カーブの設計速度はせいぜい速くても八十キロだと思うけど、どうだろう?)
ルートは、山王通を東進して別院の交差点まで、そして大津通を南下して金山に至る。
昔は、ドラゴンズの本拠地が中日球場(=ナゴヤ球場)にあったときには賑わいのあった名鉄「山王」駅。当時は、「中日球場前」駅だったかと思うが、私にはあまり縁のない駅だった。
柳原橋を渡って、山王通りに出て左折。そして新幹線、中央線、東海道線、名鉄のガードをくぐると駅に出る。そういえば、昨年の今頃はまだ敬老パスをもっらっていたなかったので、交通費を抑えるために神宮前から山王までを名鉄で通っていたのだ。もう一年も前・・・
今日は駅の東の通りの交差点の舗装工事をしている。歩道を歩けないなんて言ったら、青になったら渡っていいと言われ、まだ熱い熱いアスファルトの上を歩いた。
少し行ったところで右を見たら、神社がある。へぇ??こんなところに神社があったの?だいたいこの辺りを歩くなんて事はなかった私だから、知らないと言えば知らないのが当然。山王中学に通っていたら知ってはいただろうが・・・
少し戻って南に入る。どうも裏側に回ってしまったらしい。鳥居をくぐって中に入る。
神社の名前もこれでは分からない。ただただ、古いなぁと思うだけ。
境内に入ると、何本かのクスノキがある。全てが「保存樹」と書かれているようだ。数年前、この辺りで「クスノキの伐採」の反対運動があり、伐採しなくなったことがあったことを思い出したが、ここのこと?私の記憶では古渡交差点(東別院の西)の近くだと思っていたけど。かえってからネット検索しても該当するものに行きつかんないので不明・・・・
本殿は結構きれいにされている。多分にどなたかが管理なさっているからだろう。と、ここでも神社の名前が分からない。(知ろうとしないから分からないのかも)
写真を見ておわかりかと思うが、石灯籠などはかなり古くて地震でもあったら即崩れそうなので、あちこちの灯籠が転倒防止の鉄の枠で保護されている。地震はいつ来るか分からないものなぁ。。
本殿に向かって後ろが本当の正面の鳥居らしい。この鳥居には建てたのが大正で「名古屋市中区露橋」なんて彫り込まれていた。ひょっとしたら、まだ中川区が完全に名古屋市に編入されていない頃のことなのかもしれない。
この鳥居を正面から見て初めて「神明社」という名前であることを知った。石柱には「村社」と書かれているがやはり編入前の村の状態を思わせるものだ。
神社を出て山王通りに戻り、また東に向かって歩いていく。道路左手には一昨年だっけにできた「喜多の湯」がある。まだ五時前という時間なのに、結構車いるわ。
山王の交差点は、目下都市高速の工事中である。南北の幹線と別院方面からの西行きを南に乗り入れるカーブを作っている。チョットきついカーブなので、完成して走り始めるとまた自己が出る地点になりそうな気がする。
名古屋の都市高速は、高速道路ではないので、スピード出すとカーブでは曲がりきれないので、ご注意を。(公にされることはない設計速度。最高速度六十キロだから、カーブの設計速度はせいぜい速くても八十キロだと思うけど、どうだろう?)