2009年07月26日

天地人 第34回 女の上洛

 タイトルが「女の上洛」という割には、ほかの話が多くて。もっと聚楽第や西陣の説明があってもよかったのではないかと思う。
 この聚楽第のお陰で、京都はこの時代は城下町になってしまったのだ。と、こんな話を誰も書かないのはどうして?やはり今日は、平安京のままのイメージで保っていたいから?それは無理というもの。しかし学者たちもなぜおおぴっぴらに城下町・京都といわないのだろう。
 
 昔、小柳るみこ の私の城下町 という歌が流行した。この歌を聞いて、私の頭の中は京都が出てきた。今でもこの曲を聞くと京都へ行きたくなるのだ。それほど私の頭の中は 京都=城下町 となっている。
 それに全国の「小京都」といわれるところを思い起こしてほしい。ほとんどのところが城下町なのだ。それは、江戸期の整備された城下町の多くが碁盤の目に整備され京都のイメージにかなるところがあるからだろうが、実はその裏には武家屋敷としてのイメージを持っているからかもしれない。長い白い塀、これは武家屋敷もそうだが、寺の塀も白い塀ということが重なることもあるだろうが。

 本題。
 秀吉が、死期が近づいていることをうすうす感じてきたのか。もう関が原まで10年を切ったのだから。感じてもいいころだろう。
 そんなこともあるのだろうが、先々の豊臣家の安泰のためにわがままを通すようになってきている。今回のストーリでは千利休を切腹させている。また、とうとう始まった人質作戦。諸国の城主の妻を人質に求めて、それが遅れている上杉に圧力をかけている。
 景勝の妻は、抵抗するが、兼続の妻・お船の説得もあり上洛することになるが・・・・

 この妻・菊の上洛の遅れが、先々上杉が秀吉から遠ざけられるひとつの原因となっているかもしれない。いずれ会津に転封されるのだが、名目は伊達政宗の監視役、しかしあくまでも名目だろうなぁ。。。

 今回もそうだが、兼続に次女が誕生したものの、それらしい祝いの騒ぎもなく、なんとも寂しい。それに加えて、お船が独断で景勝の妻・菊とともに上洛すると言い出して。なんだかだんだん兼続の影が薄くなる。
 
 毎度同じことを書いて恐縮だが、ストーリーが単発の途切れ途切れで、脈絡がねぇ・・・・ただただ起きたことを羅列しているように思えてならない。何か一本筋が通った話にならないのだろうか?今回のこのドラマでは、本当に訴えてくるものが乏しくて。だからかな、このドラマのことを書いた記事に出合うことがほとんどないのだ。


 あぁ。フカキョン=深田恭子の淀君は、過去の彼女主演のTVドラマ「富豪刑事」のあのときの彼女のキャラになっている。もう少し大人の演技させてやれよなぁ。。。 今の状態では、馬鹿キャラに近いぜ。

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