2009年09月06日
官僚たちの夏 第8話 国産飛行機
オリンピック前夜。まだ私は、大学の1年。世の中の構造なんてかなん考えもしていなかった時代。
そんな時代。世の中は大きく動いていたんですね。
新聞の予告で国産飛行機の開発が主体だったが、何となくコンピュータ開発の話が多い。
国産コンピュータの開発は、グループ企業団で行われていたはずだが、開発が遅々として進まず多くのところが撤退をしていく過程にある。
現実には大型コンピュータの世界では、HITACHI、NEC、FJITSU の3社に最終的にはなってしまうほどなのだが、この時代はまだそこまでは撤退していなかったはず。松下も三菱も、早川(当時)もそれなりに向かっていたはずだ。
しかし、松下は結構早く撤退した。この松下のコンピュータ撤退は、後々の松下のコンピュータ関連の再立ち上げの遅れになったことは確か。実は、裏ではある程度の開発がなされてはいたが、それは大手3社の取り組んでいたコンピュータの方向とは違ったものであった。(これはあまり世にしられていないはなしだと思う。)
早川(シャープ)は、マイコンからPCの世界にはいりでいっていたようだが、10年位後のPCの登場の際にはNEC、FUJITSUとのデッドヒートの結果シャープの2つあったシリーズはいずれも負けてしまった。いいPCだったんですがねぇ。。。
結果的に勝ち残ったのが、日本のPC文化をかなり育たない、遅らせるものにしたNECだったのが・・・・
話をYSに。
YS11は結構何回も乗りました。仕事で北海道に行くときに、函館には当時はYSしか降りられなかったと記憶。それに夜行便ではYSを使って札幌から大阪に何度も乗ったものだ。
小さい飛行機で、一番最初に乗ったときは何も知らないから、前の方に乗った。この方が安心度が高いとか言われて。ところが、エンジンに近くてとてもじゃぁないが1時間も乗っていたら耳がおかしくなる。函館でおりて、からも長~~~いこと耳鳴りがしていて、未だにそれは取れていないよぉ。
***TVジャックされた・・・娘に「プリティーウーマン」に変えられたぁ・・
筋が分からなくなるではないか。。
そんな時代。世の中は大きく動いていたんですね。
新聞の予告で国産飛行機の開発が主体だったが、何となくコンピュータ開発の話が多い。
国産コンピュータの開発は、グループ企業団で行われていたはずだが、開発が遅々として進まず多くのところが撤退をしていく過程にある。
現実には大型コンピュータの世界では、HITACHI、NEC、FJITSU の3社に最終的にはなってしまうほどなのだが、この時代はまだそこまでは撤退していなかったはず。松下も三菱も、早川(当時)もそれなりに向かっていたはずだ。
しかし、松下は結構早く撤退した。この松下のコンピュータ撤退は、後々の松下のコンピュータ関連の再立ち上げの遅れになったことは確か。実は、裏ではある程度の開発がなされてはいたが、それは大手3社の取り組んでいたコンピュータの方向とは違ったものであった。(これはあまり世にしられていないはなしだと思う。)
早川(シャープ)は、マイコンからPCの世界にはいりでいっていたようだが、10年位後のPCの登場の際にはNEC、FUJITSUとのデッドヒートの結果シャープの2つあったシリーズはいずれも負けてしまった。いいPCだったんですがねぇ。。。
結果的に勝ち残ったのが、日本のPC文化をかなり育たない、遅らせるものにしたNECだったのが・・・・
話をYSに。
YS11は結構何回も乗りました。仕事で北海道に行くときに、函館には当時はYSしか降りられなかったと記憶。それに夜行便ではYSを使って札幌から大阪に何度も乗ったものだ。
小さい飛行機で、一番最初に乗ったときは何も知らないから、前の方に乗った。この方が安心度が高いとか言われて。ところが、エンジンに近くてとてもじゃぁないが1時間も乗っていたら耳がおかしくなる。函館でおりて、からも長~~~いこと耳鳴りがしていて、未だにそれは取れていないよぉ。
***TVジャックされた・・・娘に「プリティーウーマン」に変えられたぁ・・
筋が分からなくなるではないか。。