2009年09月13日

官僚たちの夏

 昭和40年 オリンピックが終わった翌年。私が大学の3年の年。ものすごい不況でした。まだ当時は就職活動はそんな時期にすることもなかったけど、翌年の就職活動は氷河期なんてものではなかった。
 とにかく苦労したものだった。ただ、今の大学と当時の大学では全く状況が違うので比較するのが難しくはあるが。
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 今の大学は、数が多すぎる。だから大学生が多すぎる。当時の大学はまだ専門知識を有していると言うことがあったので、大企業は新規採用は止めることはなかったが、大学卒業採用のキャパはかなり小さくなっていた。大学での採用の掲載などものすごく少なかった。
 今の大学は、正直専門知識を持って世に出るとはお世辞にもいえない学生が大半。その中から本当に採用できるものを取ろうとする企業の姿勢からいけば、当然就職できないものがあるれるだろう。
 当然の帰結だ。だから昔と今を比較するのは無理といえると思う。
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 本題に戻って。
 炭鉱の事故が多かった記憶がある。地盤補強の材料などいいものがなかったろうし、労働環境も劣悪だったのだろう。機械化されているわけでもなく、人海戦術での採掘だったのだから、一度岩盤が崩れれば多量の死者を出したと記憶している。
 坑内火災が一難恐ろしかったのだろう。

 その坑内火災で、構内に注水しなければならなくなり、実行したという事故の記憶があったが、今夜のテーマはそれだった。
 役人が指示したのかどうかは知らないが、該当者の家族はいたたまれなかっただろうと思う。生きているという希望を持って待っているところに、注水するという会社からの話。注水すれは生きている可能性がゼロになる。そんな選択を迫られたたら・・・・・
 生死の選択を迫られた経験を持つだけに、家族の気持ちはある程度理解できるともう。

 こうした炭鉱事故の影響からか、それにエネルギー源がだんだん石油に変わっていく過渡期でもあったのだが、石油に変わっていくことで、石炭需要が少なくなり、閉山しているところが増えていった時代でもある。
 そして、閉山、縮小、首切り といったことから労働争議も多かった時代でもある。今回の話題は北海道だったが、南の九州では三井三池鉱での労働争議はそれまた大変なものだった。

 そんな世の中のわかり目の時代でもある。
 そして、大阪万博まであと5年。

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