2010年09月19日

龍馬伝 第38回 霧島の誓い

 龍馬は傷の治療を兼ねて薩摩の招きに応じてお龍とともに薩摩に行く。これがいわる湯巷で言う日本最初の新婚旅行とぴうことのようだ。
 薩摩に来た龍馬・お龍夫婦は、霧島・高千穂に上る。女人禁制の山にお龍は男の旅姿に美代奴して龍馬に連れて行けと。いい姿でしたなぁ。。。。。(ドラマ的に、真木よう子的に)

 この霧島の頂上で龍馬は、天逆鉾を抜き取り、そして自分がこの先日本を引っ張っていくと宣言し、そして天逆鉾を再度突き刺す。この心意気はよくわかる。その心意気がなくなれば死んだも同然の身だからなぁ。

 しかし、世の中は動いていた。幕府は何と長州攻めを開始してしまったのだ。しかし、薩摩は長州を支援してはいない。理由は、薩摩が戦うときは幕府をつぶす時だと西郷は言う。そして、幕府と戦うことは長州も同じ気持ちであるという。多々川部して幕府を崩壊させるつもりの龍馬は唖然。

 裏の動きでは、龍馬に振られた芸子のお元が、土佐藩士の蔵太(桐谷健太)にぽろぽーずしてOKをとるものの、亀山社中の船の初練習航海で命を落としてしまう。
 この事件の後、龍馬は亀山社中に出かけ、長州とともにたたかうと言い出す。それには亀山社中のみんなから反対を食らうが、龍馬は『ここで戦わねば日本がなくなる」と力説して、了解をとる。。。。

 これらのことが起きたのは1866年、つまり明治維新の2年前である。


 龍馬が西郷隆盛から『舞台から降りてもらう』といわれた。死にかけたとはいえ順風満帆に近い時を過ごし、日本を動かすような大きな仕事をしてきたにもかかわらず、それからはずされていく。
 上り坂を一生懸命登ってきて、突然の下り坂である。こうしたときの、その本人の木道はよくわかる。本人が気付かないところで、下り坂に誘導している輩がいる。そして突然にその下り坂に出あわされる。
 
 日本を背負うなんて大それたことではないにしても、仕事上で何度味わったことか。最悪の時は会社を辞めなければンらなくなったことすらあった。その時の怒りの気持ちは、必ず復活するという気持ちの原動力にもなったものだ。

 私のような小さい志ではない、日本という国レベルの志の龍馬としては、ここで下ろされてはたまらないとばかりに、亀山社中を参戦させることになったのだろうが・・・・・
 しかし、世の中の動きはもっと大きなうねりになっていく。そして、権力の外にいる龍馬は・・・


 今回のドラマでは、まだ勝たず儀が徴収の兵を率いているが地を破壊ながらだ。大切は2人の命がなくなるのがもうじきという時期になってきた。


タグ :龍馬伝

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この記事へのコメント
こんばんは。
8時から見ます!
先週から、ちょっと真剣に見てますよ!
今日は新婚旅行ですか・・・
Posted by 花 at 2010年09月19日 19:21
きりっとしたお龍がいいですよ。
Posted by 生田 at 2010年09月19日 19:45
 

  
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