2010年09月26日

龍馬伝 第39回馬関の奇跡

 長州と幕府の戦に龍馬の亀山社中が加わった。変な話しだね。会社組織の集団が戦争に加わるってね。。。まぁ、亀山社中が加わったおかげで長州は勝利を収める。
 この長州征伐の敗戦を持って幕府は力を失って行く。何かについて時の流れの変換点はあるというものだ。

 ここで戦った徴集の兵は、藩兵ではない、高杉率いる『奇兵隊』である。これは農民をはじめ藩の武士ではない軍隊である。それが表に立って、自分たちの将来のためという希望のもとに戦っている。これには龍馬も驚いたようだが、その通りと納得していたが・・
 (高杉晋作は、労咳(肺結核)を押して戦っている。ドラマでは三味線を持って戦地に向かい、相手を切り倒している。ヤクザかぁ???)

 戦の間に将軍が死に、米騒動が起き、幕府はもう民衆を押さえることができないところまで来ている。

 戦に勝ったところで、このまま仲間(賛同する藩)を増やして一気に幕府をつぶそうと長州は言うが、龍馬は戦はもうやめろという。これは意見が分かれたが、長州の木戸が龍馬に『戦なしで麦をつぶす』方法を問う。龍馬は『幕府に生体将軍職を返上させる』というが、木戸は『過去にもあった大政奉還論で、一度権力を持った幕府は手放さないから絵空事だ』というが、龍馬は「対製本かしなければ、戦を仕掛けると脅せばいい』と武器を持つことがひつようという。

 この辺りの話しがだんだん現実味を帯びてくる。(龍馬の死まで後1年)

 
 一方この同じ時期に、岩崎弥太郎は長崎で土佐藩の名産物を売り込んでいるが、ここでグラバーから「龍馬を犯罪人としているとさは信用できない。商売がしたいのなら龍馬を通せと』と言われ腹を立てる。
 この辺りは、立腹しても、龍馬のしてきた功績を十分に認識せざるを得ない状況になったのだろう。
  
 今回のドラマの冒頭は、明治になってから岩崎が商売に成功して三菱を立ち上げ、邸のなかで不ラバーを控えさせてのシーンであった。ストーリーではグラバーは長崎の会社をつぶしてしまい、岩崎に拾われたと言っていた。
 このシーンのなかで、龍馬をくさしているが、それを母親が弥太郎にビンタを食らわしていい覚めると転がる。岩崎弥太郎が成功したものも、龍馬の功績の結果と母はさとしているのだ。


 気になっていること。
 薩摩が今回はちらっと出てきただけだが、西郷隆盛だけが大きく扱われ、小松帯刀やら大久保利通が表に出てこない。小松帯刀は威信を見ないで死ぬからまで扱いは軽くてもいいかとは思うけど、大久保は明治になってからは重要人物なのでモウチイと表に出さないといかんのではな?

 もう一つ気になったこと
 次週の予告で、お龍がピストルを撃っている。なんなのだろう????
 

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