2010年11月07日
10年秋の平泉への旅 26 平泉・毛越寺2
宝物殿を出て境内を散策するために歩き始める。
本堂の方に向かうが、右手に大きな池が目に入った。その手前に境内の復元図があるので、その前で何があるのかを見てみた。何があるのかというよりも何があったのか何だねぇ。。。大きな池があって、たくさんのお堂があって。京都から遠く離れたところでこれだけのものが平安後期から鎌倉期にあったというのは、それだけこの地方にそれなりの権力と文化があったということなのだろう。
本堂に向かって歩いて行くが、なんとなく黒い、喪服ではないか?を来た人とすれ違う。本堂に上がる下足箱のところでも、そして本堂への通路でも。どこかの家の法要があったのか?
本堂に入ったら、ご本尊の前にも喪服の一団が。やはりこの日は何か法要を営む人が多いということらしい。(日曜日だからかもしれないなぁ。我が家の平日にしたが、和尚は平日の法要を喜んでいた。週末は重なるから忙しいし、調整が大変なようだ)
ここでも『撮影禁止』の張り紙はない。平泉に来て撮影禁止は、中尊寺の宝物殿と金色堂だけで、それ以外は見ていない。ここでも撮影が許可されているのかと思ったが、やはり確かめておかないといけないので、須弥壇の前の装飾の方に聞いてみたら、「大事にしていただけるなら」というご返事で、許可をもらった。(写真はご本尊の薬師三尊です。)
この本堂はかなりきれいなので、平成の時代になって建て替えられたのかと思う。公式HPによれば平成元年の債権とのことで、かなり新しい。しかし、作りは平安期の様式を取っているとのことだ。しかし、内部で見た印象は、あまりにきれいすぎて、その様式に木がいかないということかなぁ。
写真を撮らせていただいて、本堂を出るときに、家から電話が入る。何事かと思いきやちょっといいことがあったようだ。ふ~~ん、ここでも仏さんの御利益?ありがたく頂戴いたします。
本堂の方に向かうが、右手に大きな池が目に入った。その手前に境内の復元図があるので、その前で何があるのかを見てみた。何があるのかというよりも何があったのか何だねぇ。。。大きな池があって、たくさんのお堂があって。京都から遠く離れたところでこれだけのものが平安後期から鎌倉期にあったというのは、それだけこの地方にそれなりの権力と文化があったということなのだろう。
本堂に向かって歩いて行くが、なんとなく黒い、喪服ではないか?を来た人とすれ違う。本堂に上がる下足箱のところでも、そして本堂への通路でも。どこかの家の法要があったのか?
本堂に入ったら、ご本尊の前にも喪服の一団が。やはりこの日は何か法要を営む人が多いということらしい。(日曜日だからかもしれないなぁ。我が家の平日にしたが、和尚は平日の法要を喜んでいた。週末は重なるから忙しいし、調整が大変なようだ)
ここでも『撮影禁止』の張り紙はない。平泉に来て撮影禁止は、中尊寺の宝物殿と金色堂だけで、それ以外は見ていない。ここでも撮影が許可されているのかと思ったが、やはり確かめておかないといけないので、須弥壇の前の装飾の方に聞いてみたら、「大事にしていただけるなら」というご返事で、許可をもらった。(写真はご本尊の薬師三尊です。)
この本堂はかなりきれいなので、平成の時代になって建て替えられたのかと思う。公式HPによれば平成元年の債権とのことで、かなり新しい。しかし、作りは平安期の様式を取っているとのことだ。しかし、内部で見た印象は、あまりにきれいすぎて、その様式に木がいかないということかなぁ。
写真を撮らせていただいて、本堂を出るときに、家から電話が入る。何事かと思いきやちょっといいことがあったようだ。ふ~~ん、ここでも仏さんの御利益?ありがたく頂戴いたします。