2010年11月07日
10年秋の平泉への旅 27 平泉・毛越寺3
本堂を出て、池の方に向かって歩き始める。目の前にはほんの少し色づいた木々があるが、まだまだだなぁといった印象しか持てない。
池の前に来た。私が立っていると個からは、池は左右に広く前後に狭い。向こう岸にはなにも建っていないが、昔は何か大きな建物があったようだ。池の形や大きさから私の頭の中には宇治・平等院鳳凰堂が描かれたのだが、このイメージは間違いとのことだ。
この寺の公式HPによるこの寺の伽藍(臨池伽藍)の中央には向こう岸にわたる橋のよなものがあり、鳳凰堂の池の様子とはかなり違うようだ。しかしHPを見て理解できないことがある。『浄土庭園』というタイトルの記事なのだが、浄土は多くの場合『阿弥陀如来の浄土信仰から来るものと思うのだが、この寺の本尊は薬師如来なので、浄土信仰とはちょっとずれているように思うのだ。
イメージは違っていてもいい。その時描いたイメージで、この寺の往時をしのび、現在の様子でカメラに収めたいところを収めていこうと、順路として示されているように左回り(時計回り)で池を回り始めた。
おそらく、もう2週間もして、全部が紅葉したら池には素晴らしい景色が反転して映し出されることだろう。これだけの広い庭のが一気に紅葉した姿を見てみたかったと思い、ちょっといや多いに残念に思う。
この下に、何枚かの写真をコメントなしでつけておきます。とにかく歩いていて目に入ったものを撮っているだけで、方向はあちこちめちゃくちゃ。池を撮ったかと思えば山の方を撮ったりと。
池の前に来た。私が立っていると個からは、池は左右に広く前後に狭い。向こう岸にはなにも建っていないが、昔は何か大きな建物があったようだ。池の形や大きさから私の頭の中には宇治・平等院鳳凰堂が描かれたのだが、このイメージは間違いとのことだ。
この寺の公式HPによるこの寺の伽藍(臨池伽藍)の中央には向こう岸にわたる橋のよなものがあり、鳳凰堂の池の様子とはかなり違うようだ。しかしHPを見て理解できないことがある。『浄土庭園』というタイトルの記事なのだが、浄土は多くの場合『阿弥陀如来の浄土信仰から来るものと思うのだが、この寺の本尊は薬師如来なので、浄土信仰とはちょっとずれているように思うのだ。
イメージは違っていてもいい。その時描いたイメージで、この寺の往時をしのび、現在の様子でカメラに収めたいところを収めていこうと、順路として示されているように左回り(時計回り)で池を回り始めた。
おそらく、もう2週間もして、全部が紅葉したら池には素晴らしい景色が反転して映し出されることだろう。これだけの広い庭のが一気に紅葉した姿を見てみたかったと思い、ちょっといや多いに残念に思う。
この下に、何枚かの写真をコメントなしでつけておきます。とにかく歩いていて目に入ったものを撮っているだけで、方向はあちこちめちゃくちゃ。池を撮ったかと思えば山の方を撮ったりと。