2010年11月09日
10年秋の平泉への旅 31 平泉・文化遺産センター
平泉駅前でわんこそばを食べ終えて、外に出たら巡回バスがいた。発車寸前だったのを止めてもらって乗り込む140円払って1回だけ、文化遺産センターに行くだけの乗車のつもりなのだ。
運転手さんに文化遺産センターに行くんだと言ったら、そんなの車で行ったほうがいいと言われた。バスでぐるっと回ると結構時間かかるし、帰りは歩かなくてはならんからって。。。
センターの場所は、毛越寺と中尊寺の間で、その間の距離の3分の1くらい毛越寺から行ったところ。多分私の年齢を見たのだろうが、歩くのが大変なようなことで。。。(そこまで年寄りに見られたかぁと残念。)
で、バスを走らせながら運転手は、行き方を教えてくれたのだ。ということで、運転手さんのお勧めに従って、自分の車で行くことにした。となると、バスを毛越寺で降りなくてはならない。ひと駅、歩いて10分位を乗ってきたわけだ。
このバスは、毛越寺の駐車場に停留所があって、駐車場の中に入り込む。その時、入り口のもぎりの例のおばさんが私の顔を見て怪訝な顔をしていた。おばさん、なんかモンクあっか????
駐車場から車を出して、運転手さんに言われたとおりに走り始める。途中で、私が宿泊したかった温泉旅館(あれっ?予約失敗したところだ)があったが、ここに泊まれなかったことが返す返すも残念。予約を前の日に入れていれば可能だったのにねぇ。(でも、それができない直距離ドライブ旅行)
それを通り越して少し行ったところの左側にきれいな新しい建物があり、その前には車が1台しか止まっていない広い駐車場があって、その中に車を乗り入れる。実は、駐車場が空に近いし、あまりにも静かなので、休館日か業務終了かと思ったくらいだ。
しかし、とにかく行ってみようと、入り口にいってみる。幸いにも休館日でもなく業務終了でもなかった。
中に入ると、ん??閑散としている。女性が一人。「見せてください」と声をかけると『ご案内します。簡単な説明もさせていただきます』とおっしゃって私の近くに。そして説明を始められたのだが、そこに次の来館者が2組入ってきたよ。
(あらぁ。。ここでも私は招き猫らしい。誰もいないところに顔を出すと、そのあとでいくつかの客がやってくる。飲み屋のママさんは毎日来てくれというけど、お姉さんたちは嫌がった、私が来る日は忙しくなるからって。)
とはいえ他の客を入れても5人(私プラス2人掛ける2組)。この人数を相手に、平泉の由来などをいろいろと話された。(なになに、簡単な案内ではないですよぉ)
ここで知ったことで一番印象に残ったのが、平泉の東にある山、実は中尊寺で導かれるように月見坂を外れ見晴らし台に行って霧にかすむ山を取った。一からは東の方向の山だ。
実は、その山の話をされたのだが、『束稲山』という山で平泉にとっては大切な山のようで、近くにもいろいろと史跡があるとのこと。また、逆に束稲山からは、平泉の町が一望できるとのことでもある。
そして、説明では、平泉の街の中の寺の配置の意味を。藤原氏の館に対しての位置関係になるのだが、鬼門やらなんやらを。(もう記憶に残っていない。2週間も経つんだもんな)
説明が終わって、他の展示物などを見せてもらったが、どうもいまいち私の興味をひくものがない。遺跡ばかりなのがその原因だと思う。とくに大きな寺があったといっても、その様相がわからないし、その寺の由緒などもはっきりとしていないし、一番の問題は仏像などの美術品が残っていないからだと思うのだ。
ということで、早々に切り上げてしまった。
車に戻って時間を見ると、2時である。(平泉の街を6時間かけてみたことになる)
運転手さんに文化遺産センターに行くんだと言ったら、そんなの車で行ったほうがいいと言われた。バスでぐるっと回ると結構時間かかるし、帰りは歩かなくてはならんからって。。。
センターの場所は、毛越寺と中尊寺の間で、その間の距離の3分の1くらい毛越寺から行ったところ。多分私の年齢を見たのだろうが、歩くのが大変なようなことで。。。(そこまで年寄りに見られたかぁと残念。)
で、バスを走らせながら運転手は、行き方を教えてくれたのだ。ということで、運転手さんのお勧めに従って、自分の車で行くことにした。となると、バスを毛越寺で降りなくてはならない。ひと駅、歩いて10分位を乗ってきたわけだ。
(バスは、ごく当たり前のバス{名古屋の市バスの一回り小さいや}で、どうということはない。多分観光シーズンには満杯になって観光客を運んでいるのではないかと思う。)
このバスは、毛越寺の駐車場に停留所があって、駐車場の中に入り込む。その時、入り口のもぎりの例のおばさんが私の顔を見て怪訝な顔をしていた。おばさん、なんかモンクあっか????
駐車場から車を出して、運転手さんに言われたとおりに走り始める。途中で、私が宿泊したかった温泉旅館(あれっ?予約失敗したところだ)があったが、ここに泊まれなかったことが返す返すも残念。予約を前の日に入れていれば可能だったのにねぇ。(でも、それができない直距離ドライブ旅行)
それを通り越して少し行ったところの左側にきれいな新しい建物があり、その前には車が1台しか止まっていない広い駐車場があって、その中に車を乗り入れる。実は、駐車場が空に近いし、あまりにも静かなので、休館日か業務終了かと思ったくらいだ。
しかし、とにかく行ってみようと、入り口にいってみる。幸いにも休館日でもなく業務終了でもなかった。
中に入ると、ん??閑散としている。女性が一人。「見せてください」と声をかけると『ご案内します。簡単な説明もさせていただきます』とおっしゃって私の近くに。そして説明を始められたのだが、そこに次の来館者が2組入ってきたよ。
(あらぁ。。ここでも私は招き猫らしい。誰もいないところに顔を出すと、そのあとでいくつかの客がやってくる。飲み屋のママさんは毎日来てくれというけど、お姉さんたちは嫌がった、私が来る日は忙しくなるからって。)
とはいえ他の客を入れても5人(私プラス2人掛ける2組)。この人数を相手に、平泉の由来などをいろいろと話された。(なになに、簡単な案内ではないですよぉ)
ここで知ったことで一番印象に残ったのが、平泉の東にある山、実は中尊寺で導かれるように月見坂を外れ見晴らし台に行って霧にかすむ山を取った。一からは東の方向の山だ。
前にも載せた写真です。
実は、その山の話をされたのだが、『束稲山』という山で平泉にとっては大切な山のようで、近くにもいろいろと史跡があるとのこと。また、逆に束稲山からは、平泉の町が一望できるとのことでもある。
そして、説明では、平泉の街の中の寺の配置の意味を。藤原氏の館に対しての位置関係になるのだが、鬼門やらなんやらを。(もう記憶に残っていない。2週間も経つんだもんな)
説明が終わって、他の展示物などを見せてもらったが、どうもいまいち私の興味をひくものがない。遺跡ばかりなのがその原因だと思う。とくに大きな寺があったといっても、その様相がわからないし、その寺の由緒などもはっきりとしていないし、一番の問題は仏像などの美術品が残っていないからだと思うのだ。
ということで、早々に切り上げてしまった。
車に戻って時間を見ると、2時である。(平泉の街を6時間かけてみたことになる)