2010年11月09日
10年秋の平泉への旅 30 平泉・わんこそば
常行堂を過ぎると、もうもつうじの拝観は出口の方に行くことになる。池の周りをあと4分の一回って入ってきたときの拝観券売り場の横を通って駐車場に向かう。
この池の残りの4分の1のところに紅く色づいた木々が近くになる。それらをカメラに収めて毛越寺の写真は終わりとなる。
この構図の写真は、どこにもであるもので、毛越寺でなくてもいいわけで、これでも毛越寺独特のものにはなっていない。
この写真は、何とか毛越寺を特定できるかと思うけど…右の方に常行堂がある。しかし、紅くないのが残念。
さて、個でれ毛越寺は終わりとなり、これからJR平泉駅に行き、そして循環バスに乗ってみようと思っている。
毛越寺の関所を出て、東に歩く。この道は、中尊寺から来るときに「毛越寺入り口」の交差点を右折してきたきれいな道だ。
この道の左側(北側)には広く開いた土地がある。ここが『観自在王院跡』とのことだ。
ここには、宇治の平等院を模して造られたといわれている寺である。「観自在王」というのは浄土教でいう法蔵菩薩の師に当たる如来といわれる。法蔵菩薩は悟りを開いて阿弥陀如来になったので、観自在王は阿弥陀如来の先生ということになるか。。
いずれにしても、浄土教思想を形に表した寺が経っていた。しかもその形はいわれによれば表ドン人とほぼ同じだったとか。。。
といっても、私はこの空き地で往時を偲ぶという趣味を持っていない悲しさかなぁ。。通過です。
この道を真っ杉行けば平泉の駅に行くのだが、結構長いこと歩いてきて、トイレ行く機会を逃していた。この近くに無いかと思ったら、道路から少し外れたところに公衆のトイレが用意されている。多分観光シーズンになった時のことを考えてのことだろうが。
道をそれてしまったので、駅に行く身をまっすぐあることがを忘れてしまって、裏道を歩いてしまった。そのために、道路の両側にある店を見ることも忘れてしまったのだ。
少し歩いたところで、もとの道路に戻ったが、その先は平泉駅までは、これといった店も施設もなく、駅まで来てしまった。
時間はもうお昼を回っている。駅舎に入ってみたが、本当にローカル駅で、観光地の駅とはとても思えない駅だ。おそらくこの平泉には、観光バスや自家用車できる人がほとんどなのかもしれない。
いや、そうではないか?この日は日曜だけど、まだ紅葉の季節ではない。だから観光客が列車で来るということがないのかもしれない。
駅舎から外に出ると、町内の観光地を回る循環バスが止まっている。どのくらいの感覚で発車するのかと聞いたら、15分の木だとのこと。ならば次のバスでもいいかと、バス停の前の麺どころで昼食をとることにした。
店の名前『芭蕉館』という。看板に『わんこそば』書かれていたので、岩手県に来て『わんこそば』を食べないわけにはいかないだろうとばかりに入ったのだ。店の中は、結構埋まっていたなぁ。昼食時間を本の少しすぎていたのだが。
俳優の八嶋智人似の店員が対応してくれた。ちょっとぶっきらぼうだったよぉ。頼んだのは『わんこそば』だが、ここのわんこそばはテレビなどでも見るような人間が入れてくれるやつではないって。名前を『盛り出しわんこそば』という。どんなのが出てくるかと思ったら、写真のようなのが出てきたよぉ。。。お膳にそばを小さいワン24杯に分けて出てきたのだぁ。。。
味は結構淡白で、塩っ気が薄く。実は前の晩一関のほているの近くの麺どころでやはりそばを食べたのだが、その店もしお味が薄かった。信州そばの場合はもう少し塩っ気が効いているのだが。。。食べ終わってのそば湯も、その流れで淡白だったなぁ。。。これは好みの問題。
写真は、食べ終わったわんこそばのワンを積み上げたもの。実は、もう半分はもう片付けられている。
上の写真を撮る前に、撮っていいかと聞いたの時のあの八嶋智人似のお兄ちゃんのあの笑顔。最初のぶっきらぼうな人とは大違いだったよ。いつもいい笑顔でねぇ。。
この池の残りの4分の1のところに紅く色づいた木々が近くになる。それらをカメラに収めて毛越寺の写真は終わりとなる。
この構図の写真は、どこにもであるもので、毛越寺でなくてもいいわけで、これでも毛越寺独特のものにはなっていない。
この写真は、何とか毛越寺を特定できるかと思うけど…右の方に常行堂がある。しかし、紅くないのが残念。
さて、個でれ毛越寺は終わりとなり、これからJR平泉駅に行き、そして循環バスに乗ってみようと思っている。
毛越寺の関所を出て、東に歩く。この道は、中尊寺から来るときに「毛越寺入り口」の交差点を右折してきたきれいな道だ。
この道の左側(北側)には広く開いた土地がある。ここが『観自在王院跡』とのことだ。
ここには、宇治の平等院を模して造られたといわれている寺である。「観自在王」というのは浄土教でいう法蔵菩薩の師に当たる如来といわれる。法蔵菩薩は悟りを開いて阿弥陀如来になったので、観自在王は阿弥陀如来の先生ということになるか。。
いずれにしても、浄土教思想を形に表した寺が経っていた。しかもその形はいわれによれば表ドン人とほぼ同じだったとか。。。
といっても、私はこの空き地で往時を偲ぶという趣味を持っていない悲しさかなぁ。。通過です。
この道を真っ杉行けば平泉の駅に行くのだが、結構長いこと歩いてきて、トイレ行く機会を逃していた。この近くに無いかと思ったら、道路から少し外れたところに公衆のトイレが用意されている。多分観光シーズンになった時のことを考えてのことだろうが。
道をそれてしまったので、駅に行く身をまっすぐあることがを忘れてしまって、裏道を歩いてしまった。そのために、道路の両側にある店を見ることも忘れてしまったのだ。
少し歩いたところで、もとの道路に戻ったが、その先は平泉駅までは、これといった店も施設もなく、駅まで来てしまった。
時間はもうお昼を回っている。駅舎に入ってみたが、本当にローカル駅で、観光地の駅とはとても思えない駅だ。おそらくこの平泉には、観光バスや自家用車できる人がほとんどなのかもしれない。
いや、そうではないか?この日は日曜だけど、まだ紅葉の季節ではない。だから観光客が列車で来るということがないのかもしれない。
駅舎から外に出ると、町内の観光地を回る循環バスが止まっている。どのくらいの感覚で発車するのかと聞いたら、15分の木だとのこと。ならば次のバスでもいいかと、バス停の前の麺どころで昼食をとることにした。
店の名前『芭蕉館』という。看板に『わんこそば』書かれていたので、岩手県に来て『わんこそば』を食べないわけにはいかないだろうとばかりに入ったのだ。店の中は、結構埋まっていたなぁ。昼食時間を本の少しすぎていたのだが。
俳優の八嶋智人似の店員が対応してくれた。ちょっとぶっきらぼうだったよぉ。頼んだのは『わんこそば』だが、ここのわんこそばはテレビなどでも見るような人間が入れてくれるやつではないって。名前を『盛り出しわんこそば』という。どんなのが出てくるかと思ったら、写真のようなのが出てきたよぉ。。。お膳にそばを小さいワン24杯に分けて出てきたのだぁ。。。
味は結構淡白で、塩っ気が薄く。実は前の晩一関のほているの近くの麺どころでやはりそばを食べたのだが、その店もしお味が薄かった。信州そばの場合はもう少し塩っ気が効いているのだが。。。食べ終わってのそば湯も、その流れで淡白だったなぁ。。。これは好みの問題。
写真は、食べ終わったわんこそばのワンを積み上げたもの。実は、もう半分はもう片付けられている。
上の写真を撮る前に、撮っていいかと聞いたの時のあの八嶋智人似のお兄ちゃんのあの笑顔。最初のぶっきらぼうな人とは大違いだったよ。いつもいい笑顔でねぇ。。
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この記事へのコメント
わんこ蕎麦っていそがされている様でいなやんだよね。
ゆっくりたべたいです。
一枚目のもみじの写真がきれいですね。
ゆっくりたべたいです。
一枚目のもみじの写真がきれいですね。
Posted by みりん at 2010年11月09日 20:15
この「わんこそば」はいいよ。
横に人立ってなくて、
自分のペースで食べられるから。
気分とそばが味わえる。
横に人立ってなくて、
自分のペースで食べられるから。
気分とそばが味わえる。
Posted by 生田 at 2010年11月09日 20:44