2010年12月19日

イ・サン 第70回 王族と認められて

 清国使節団とのいざこざは最悪の状態で、使節団が戦いを挑んできたが、何とか宿衛所の力で事なきを得る。
 その裏で、ソンヨン(側室ソン尚官)は昔々今回の大使が来た時に絵を送ったというよしみで会見を申し入れるが拒否されていたが、恵慶宮(イ・サンの母)がソンヨンに大使と会うためにならばと王宮から外に出る許可を与える。そしてソンヨンは大使を他図円るが面会を拒絶されるも、そこに大使が出てきて『私が読んだのだ』と中に呼び込む話をするが、監視がきつくて話ができない。帰り際に大使からソンヨンに側室になったお祝いという絵をもらう。
 この絵には、詩が書かれていて、それには案に周りの監視がきつく区手話ができないという王へのメッセージが込められていた。

 このメッセージに従って、王は大使のいつ迎賓館を兵で包囲して、大使一人なら会って話をしようと、大使だけを呼びだして本音の会話をする。ここで朝鮮ニンジンの貿易自由化の話をして両国に利益のある話、それでも戦争をするのかと大使を説得。これが功を奏して戦いは回避された。

 一方で、ソンヨンの懐妊が確認され、周囲から祝福を受けるが、ただ恵慶宮の実が祝福をしていない。王=イ・サンはそれを心配して母親・恵慶宮に会いに行くが話の途中でソンヨンが呼び出しを受けてきて、そこで王室の一員と認めるという宣旨を受ける。

 このドラマでもそうだが、王=イ・サンは国王として戦争を避けるように考えている。本当にこれは国のトップとして考えなければならないことだと思う。
 このドラマでは、清国は財政事情の悪化から国内世情が混乱、荒廃して不安定な情勢で、それを回避するために国民の目を外に向けようという意思があるということらしいのだが、そんなことで国民を戦争の場で死なせるなんて言うのは、国のトップが考えるのは最低の国王=国のトップだろう。

 今某国で一平卒になり下がったと自分にいながら、上官の命令を聞こうとしない人は、好戦的な人なのだ。私と年代は同じ年代だが、おそらく戦争の悲惨さを経験していないのだろう。
 国を守るのは、なにも武力だけで守るのではなく、武力ではなく他の方法でも守ることが可能だろうと私は思う。あの一平卒になり下がった人が、トップに返り咲くことのないように願っている。
 

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