2011年04月16日
激励京都旅行 その3 法界寺2
法界寺は何度となく、ほんとうにもう15回以上は来ていると思う。目的はいつも阿弥陀さんのお顔を見ること。お顔を見るとなぜか心が落ち着く。なぜなんだろう??
阿弥陀堂の南の薬師堂はご本尊を見ることができないだけに、興味をひかれることが少ない。しかし、初めて行った息子たちは違う。多分に親の私の興味への興味を覗き見しているといったところかもしれない。物ごころついてからこうした精神的背景にかかわるところに一緒に来るなんてことがなかっただけに。ひょっとしたら孫の方が、この寺にはもう5年前、そして昨年は奈良の長谷寺などに行ったりしているからこうした精神的背景を感じているかもしれない。
薬師堂の前で阿弥陀堂で一緒に説明を受けた私と同年代の男性がいて、わが家の数人を相手に何か講釈しておいでになる。後で聞いたら京都の寺周りをされているようだけど、いくつ回っても回りきれないほどの寺があるという愚痴も出ていたとのことだ。
実はこの薬師堂の右手に蛇腹で仕切られたところがある。多分に5月にある親鸞聖人誕生祭のときに団体でどっと訪れる参拝客を、誕生院の保育園の運動場から直接法界寺に入ることができるようにするためのものだと思う。それ以外はどうも閉鎖しているようだ。(保育園の警備上の問題でいたしかたないかな?)
下の息子を呼んでその蛇腹の階段で、右手前方にある塀のことを教えてやった。『この向こうには親鸞誕生の際の産湯の水を汲んだ井戸があるんだけど、そんなもの嘘っぱちだぞ』って。しかし、彼はなんとなく興味をもったようで、この後保育園の向こうにまわり込んだときに写真を撮っていた。
子供たち(息子・娘)は、薬師堂の中に入って乳薬師由来のもの(多分におっぱいの形をしたもの)を興味深く見ていたようだ。
法界寺では境内に桜の木はそんなにたくさんない。それに今年はサクラはもう遅いらしい。その少ない桜の花をショット。
境内には池があり、何年か前に来た時には蓮の葉っぱがいっぱいだった。残念ながらハスの花にはお目にかかっていない。咲いていると本当に極楽浄土かもしれないが、まだ私は行く気はないよ、念のため。(この世で、煩悩いっぱいに生きていることをまだまだするつもり)
今の池は、ハスは枯れたままのようできれいとはお世辞もいえないなぁ。
阿弥陀堂の南の薬師堂はご本尊を見ることができないだけに、興味をひかれることが少ない。しかし、初めて行った息子たちは違う。多分に親の私の興味への興味を覗き見しているといったところかもしれない。物ごころついてからこうした精神的背景にかかわるところに一緒に来るなんてことがなかっただけに。ひょっとしたら孫の方が、この寺にはもう5年前、そして昨年は奈良の長谷寺などに行ったりしているからこうした精神的背景を感じているかもしれない。
薬師堂の前で阿弥陀堂で一緒に説明を受けた私と同年代の男性がいて、わが家の数人を相手に何か講釈しておいでになる。後で聞いたら京都の寺周りをされているようだけど、いくつ回っても回りきれないほどの寺があるという愚痴も出ていたとのことだ。
実はこの薬師堂の右手に蛇腹で仕切られたところがある。多分に5月にある親鸞聖人誕生祭のときに団体でどっと訪れる参拝客を、誕生院の保育園の運動場から直接法界寺に入ることができるようにするためのものだと思う。それ以外はどうも閉鎖しているようだ。(保育園の警備上の問題でいたしかたないかな?)
下の息子を呼んでその蛇腹の階段で、右手前方にある塀のことを教えてやった。『この向こうには親鸞誕生の際の産湯の水を汲んだ井戸があるんだけど、そんなもの嘘っぱちだぞ』って。しかし、彼はなんとなく興味をもったようで、この後保育園の向こうにまわり込んだときに写真を撮っていた。
子供たち(息子・娘)は、薬師堂の中に入って乳薬師由来のもの(多分におっぱいの形をしたもの)を興味深く見ていたようだ。
法界寺では境内に桜の木はそんなにたくさんない。それに今年はサクラはもう遅いらしい。その少ない桜の花をショット。
境内には池があり、何年か前に来た時には蓮の葉っぱがいっぱいだった。残念ながらハスの花にはお目にかかっていない。咲いていると本当に極楽浄土かもしれないが、まだ私は行く気はないよ、念のため。(この世で、煩悩いっぱいに生きていることをまだまだするつもり)
今の池は、ハスは枯れたままのようできれいとはお世辞もいえないなぁ。