2011年10月30日

大河ドラマ『江』 第42回 大坂冬の陣

 とうとう大坂冬の陣。家康(北大路欣哉)の陰謀とはいえ、前・征夷大将軍として武士の上に立ったものとしては、同じくらいもしくはそれ以上の位に位置する武士がいてはならない。いれば天下はわかれてしまう。天下を治めるには頭は一つでなければならない。つまりは徳川が豊臣の上に立つ、そのためには豊臣が折れてくれなけばならない。
 これには、豊臣のトップとしての淀(宮沢りえ)は承服しかねる。そこまでプライドの高い淀なのだが。息子の秀頼はそこまでのプライドはなく天下を治めるためには引いてもいいと思っていた。江(上野樹里)の姉・初=常高院(水川あさみ)も折れることを淀に勧めるのだが淀は折れない。

 戦が始まって、こう着状態。これには秀忠(向井理)の天敵・真田雪村の働きがあるのだが。。このこう着状態を破るために、家康は大坂城を大砲で攻めることにした。これは大坂城に打ち込むことで和睦絵hの実とを選ばさせることなのだが・・・
 大砲が撃ち込まれて、和睦の申し入れが来て、その豊臣川の使者として常高院が行くことになった。和睦は成立したものの、条件の中に大坂城の堀を埋めること。実は、これは大坂城にとって致命的なことなのだが。。。
 堀を埋めることは、家康が次の戦いをもくろんでのこと。これを理解した秀忠は表に立たずに大坂城に入り淀、秀頼に生き延びてほしいと説得に行く。しかし、淀は拒否。終わったと出秀忠、秀頼二人の会見があったが、秀頼は涙ながらに「敵でございます」と。これで、完全に徳川と豊臣は敵味方に分かれる跨tになった。

 一方江戸城での話だが、竹千代=後の家光が剣術をしているのが相手(誰だ?)を豊臣=敵と言っていることに江が腹を立てるが、竹千代は福(富田靖子)のもとに逃げ込む。ここで、福はものすごい形相で江をにらむ。江は『なんだ、その顔環?』というが、豊臣に恨み骨髄の福は一歩もいひかない。

 こんな粗い粗い粗筋です。
 毎度書くけど、戦闘シーンがあっても、ユキムラの活躍シーンがあってもあまりにも中途半端で緊張感も現実感もなくて。本当に戦国を描いているのかと思う。
 大阪での戦の緊張感はないけど、江戸城の江と福の戦いの方が緊張感があるよ。

 さて、あとひと月ないのかな?残り4回です。(また、11月で終わっていますのです)どんな結末。最終回になるんだろ?もう、どうでもいいやって感じかな。

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