2012年02月05日

平清盛 第5回 海賊討伐

 冒頭で、清盛(松山ケンイチ)は赤ん坊を抱かされる。恐る恐る抱いてみて、そして命を知ったようだ。人は、よほどの狂人でかい限り、赤ん坊に悪さをしようとは思わないだろう。赤ん坊は純真無垢、裏も表もないから、安心して接することができるからだろうよ思う。

 源義朝(玉木宏)の館に連れて来られた清盛だが、どうにもこの二人を見比べていると、良知の方が人間大きく見えてしまう。なんとなく清盛がおどおどしているように見えるのだ。これは演技?それとも俳優もの持っているキャラ?現実の歴史的な事実としては、良知がいずれ敗走することになるのだが、しかし、その子孫たちは義朝の子供の世界になる。

 毎回鳥羽上皇(院)が登場する。この先の何の布石なのだろう?この先源平のいがみ合い、良知の反乱になると関係してくるけど、まだ先の話だわなぁ。。そのためのものかな?
 しかし、鳥羽院の性格はかなりいじけていて、マゾかと思ったらサディスティックにも。。。そして、妃や側室の存在は一体何を表わそうとしているか?私にはいまいちわからず・・・・清盛のこの先の活躍?にどれだけ関係してくるのだろう?

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 このドラマの画像が汚いという批判がある。確かに表現されているものはきれいとは言い難い。宮廷のシーンであってもなんか薄暗くほこりっぽく描かれている。前のタイが・『江』などはものすごくキンキラさせていたから、現実感がほとんどなかった。その反省から?
 しかし、前回の蓮華王院(三十三間堂)のシーンでは、実際に蓮華王院の選対ブルの前でさ杖したが、これ名いくらなんでも時代が違いすぎて、出来てそんなに年数の立っていない寺を表現しなければならないのに、千以上もたった今を使っては汚いのも当然だ。この辺りは考えなおしてほしいもの。(ディレクターにその間隔がなければ直ることないだろうが・・)
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 清盛の育ての父・忠盛(中井貴一)の屋敷で一門が集まる中で跡目相続の話でごちゃごちゃ。清盛はここでもいじけて『跡目を継ぐ気はない』などという。
 義朝も源氏再興を目指していいるのだが。。。。(このシーンは季節は夏か・・)


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 半分以上過ぎたところ。これから海賊退治に行くはずなのだが、私の食事ができてしまった。食べないと
 ・・

 食事は、半分見ながら・・・・・
 海賊tら維持は、神戸?(福原?かな?) とんでもない海賊だなぁ。あんなでかい船をもっているのか?それに立ち向かう?
 なんだか、やっぱり暗く敵対ないよ。海って、もっときれいだよ。いくら都が荒れていても、海は荒れていないよ。もっともあまりまともに取ると今の世の汚れた海になってしまうってか???

 やっぱり、都と海の位置関係がわからない。都にいるかと思えば海にいる。どのくらいの時間をかけて移動する?どこが清盛や忠盛の本拠なのだ?分かりにくいなぁ。。

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