2012年04月01日

平清盛 第13回 祇園闘乱事件

 人は上に立つ者の存在で人生が大きく変わることが多いもの。平清盛(松山ケンイチ)の場合は、このdラマの筋では白河院の子供となっているが、その院の息子という肩書はどちらかといえば災いの方になっているが、一方ではそれが後押ししている部分がある。
 さらには、その白河院としての出自が、鳥羽院(三上博史)にとっては邪魔な存在でもあったのだが、今回はそれが清盛にとっては幸運に向かったことになる。

 コの平安後期、末期には比叡山やドラマには出てこないが奈良の南都集団の僧兵の強訴が当たり前のようになっていたのだが、それを防ぐために平家、源氏の武士がその任に当たったわけだが、武士たちも神仏に対しての抵抗には精神的な抵抗があったらしい。
 清盛の部下が比叡山を荒らしたことで責めを負わされようとしていたところに、比叡山からみこしを担いだ強訴に源義朝(玉木宏)などの武士がその強訴を阻止しようとしているところで、清盛が神輿に矢を放つ。これが大問題となって清盛と父・忠盛(中井貴一)を流罪しろと比叡山や藤原頼長(山本耕史)が鳥羽院に迫るが、鳥羽院は断を下す前に清盛に会いに行く。
 そして、鳥羽院は『矢を当てたはわざとか?』の質問に清盛は『わざとだ』と答える。鳥羽院は、ならば『神輿をいたごとく朕をいてみよ』と。これに清盛はエアーで鳥羽院を射る。このしぐさに鳥羽院は清盛を流罪にしない断を下す。

 同じころ、清盛の2番目の妻時子(深田恭子)が男児を出産する。また弟の家盛(大東駿介)が清盛の悪行に業を煮やし、家督は自分が継ぐと言い出した。この辺りから、だんだん平家も源氏もう時の間での亀裂が入り始める。

 それにしても、毎度毎度、明るいドラマでないねぇ。子供ができた、子供が遊んでいても、なんとなく重苦しくて暗くて。。。。少しは明るくならないものやろか?

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 トップの写真は、我が家の庭で、鳥達につつかれ実もなくなり枯れ果てた柿の枝です。人生も同じで、仕事仕事で突き回されてここまで来て、落ち着いたら、だんだん枯れていくんだという思いです。  
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