2012年05月27日
平清盛 第21回 保元の乱
後白河帝(松田翔太)と崇徳上皇(井浦新)の兄弟の戦いが始まった。帝側には清盛(松山ケンイチ)が300騎、良知(玉木宏)が200騎を連れて参上。これに対して線化、働きによっては後に恩賞により昇殿も許されるだろうという帝に対して、義朝は『死ぬ覚悟ゆえ、死んでから昇殿を許されても」と迫ると「帝は「面白い今昇殿を許そう」と。そして義朝は戦略会議に上がる。これに対して、清盛は後に働きに応じて恩賞をと。
清盛も、義朝も、この戦が武士が力を示し、武士の世界になるという考えをもっているのだが。
この戦。清盛は伯父・平の忠正(豊原功補)と戦うことになり、義朝は父・為義(小日向文世)と戦うことになった。これはいずれも全精力がどちらかについて負けた時のリスクを回避するためのもの。(この方法は後々にも、多くの武将が採用している。たとえば、戦国の真田がそれに当たり、後々勢力を伸ばし長命である。)
この帝と上皇の争いには、摂関家の藤原家が再興の思いをかけているのだが、藤原頼長(山本耕史)は上皇についている。これは結果的に、藤原家の没落になるのだが。。
上皇側は、清盛、義朝に攻められ苦境に立つが、源為朝の防戦で何とか守ってはいるのだが。(為朝は、この戦いで力を失うことになってしまう。弓の名人もここまで結果的に島流しになる。物の話によると日本での切腹第1号だとか)
しかし、それにしてもなんともはやいじけた清盛だなぁ。義朝はのし上がろうとする姿勢が見えるが、清盛はなんか一歩遅れているような。どうもしっくりこない。(いうなれば家康型といいたいのかもなぁ。)
清盛の屋敷では、時子(深田恭子)と盛国(上川隆也)の会話。なんかこのシーン切迫した雰囲気なんもないぞ。会話自体は清盛を案じているような雰囲気なんだが。
最後の方で、金田正清が為朝に打たれる。そして、正清は為義に『源氏の為義の子供たちは立派なもんのふとして戦っている。いずれ源氏の世になろう」と残して息を引き取る。そして為義は打って出て、良知とあいまみえる。
結果的には、帝側の勝利になり、上皇は頼長に『そなたを信じた朕が愚かだった』と。
それにしても、あい変わらす汚い画面だなぁ。帝=松田翔太のにんまりした笑い顔、かわいいねぇ。。親父さんには出来なかった顔かもな。
清盛も、義朝も、この戦が武士が力を示し、武士の世界になるという考えをもっているのだが。
この戦。清盛は伯父・平の忠正(豊原功補)と戦うことになり、義朝は父・為義(小日向文世)と戦うことになった。これはいずれも全精力がどちらかについて負けた時のリスクを回避するためのもの。(この方法は後々にも、多くの武将が採用している。たとえば、戦国の真田がそれに当たり、後々勢力を伸ばし長命である。)
この帝と上皇の争いには、摂関家の藤原家が再興の思いをかけているのだが、藤原頼長(山本耕史)は上皇についている。これは結果的に、藤原家の没落になるのだが。。
上皇側は、清盛、義朝に攻められ苦境に立つが、源為朝の防戦で何とか守ってはいるのだが。(為朝は、この戦いで力を失うことになってしまう。弓の名人もここまで結果的に島流しになる。物の話によると日本での切腹第1号だとか)
しかし、それにしてもなんともはやいじけた清盛だなぁ。義朝はのし上がろうとする姿勢が見えるが、清盛はなんか一歩遅れているような。どうもしっくりこない。(いうなれば家康型といいたいのかもなぁ。)
清盛の屋敷では、時子(深田恭子)と盛国(上川隆也)の会話。なんかこのシーン切迫した雰囲気なんもないぞ。会話自体は清盛を案じているような雰囲気なんだが。
最後の方で、金田正清が為朝に打たれる。そして、正清は為義に『源氏の為義の子供たちは立派なもんのふとして戦っている。いずれ源氏の世になろう」と残して息を引き取る。そして為義は打って出て、良知とあいまみえる。
結果的には、帝側の勝利になり、上皇は頼長に『そなたを信じた朕が愚かだった』と。
それにしても、あい変わらす汚い画面だなぁ。帝=松田翔太のにんまりした笑い顔、かわいいねぇ。。親父さんには出来なかった顔かもな。