2012年06月03日

平清盛 第22回 勝利の代償

 保元の乱は、帝側の勝利に終わった。上皇(井浦新)は逃げ落ちた。出家したいというが、その場にそうもいなければ剃刀もなく。。。。。

 藤原頼長は、落ちのびで南都(多分奈良だろう)にいり父・忠実の屋敷に向かうが追い変えs誰、そして下を間で自殺。忠実入った『あえば藤原摂関家は終わりだ』と。

 平家一門は、勝利に酔うが清盛(松山ケンイチ)は故・重盛に伯父・忠正(豊原功補)を探さないのかといわれ『棟梁としてそれはできない』というが、現実には探す名を出していたようで、探しだされた忠正は清盛帝に連れてこられる。ここで忠正は、『生き恥をさらさすのか』というが清盛は『平家のために必要な方です』と。

 源氏一門では、やはり義朝(玉木宏)の元に父・為義の行方が知らされるが、これは良知の津、ア・ゆら午前が命じて探させたものだった。この見つかった場所は『尾張』となっている。やはり源氏は終わり~愛知県には多くおゆかりがあるということなのか。

 論功で清盛も義朝もそれなりに賞を受けるが、最終的に上皇側についた人間の処遇を信西から言い渡されるが、その中には平忠正、源為義が含まれていた。
 そして、上皇は円筒ということになったのだが、朝廷内でその処遇に反発する大臣もいたのだが、新税がそれを叱り飛ばす。何のために戦をしたのか?そして、上皇が近くにいれば再起することもあり得ると。

 この保元の乱が、武士の世界の肉親を敵に回しての草のしょっぱなといってもいいかもしれないが、このあと平治の乱では平家と源氏の勢力争い。そしてそのあとは南北朝を経て鎌倉幕府の源氏の世界に向かっていくわけだけど。。。。

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 あい変わらずほこりっぽい画面で、私の喉もいがらっぽくなってしまった。
 どう見ても描き方が私の好みではないし、筋書きも違和感を覚えることも多くて。頼長の自殺の翌日、い父・忠実の目の前に一羽のオウムが来て瀕死の状態で「チチウエ、チチウエ」と鳴くのはいいけど、こんなあシーンはここ数年続いている女性路線の延長かって思わされた。
 女性路線は言いけど、イランない逸話が多いと私には違和感が。もう少し本筋を固めた筋書きがほしいなぁ。。。
 それにしても清盛を扱うのに、なぜ頼朝が語りをするのか、いまだに分かっていない私だ。


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