2012年06月19日

見終わった 37歳で医者になった僕

 ドラマの最後は2年後の研修医たちの様子を映し出していた。沢村(水川あさみ)がきつい先生になって戻ってきていた。下田(八乙女光)は小児科医、谷口(桐山漣)は大学院に通いながら外来を担当。
 森下(田辺誠一)と中島(鈴木浩介)は仲良くそろって大名行列、新見は外来で患者を触診するように変わっていた。

 さて、これは紺野(草薙剛)の影響で大学病院内が改革されたということが言いたかったのか? その紺野は寝綱病院に行って、名刺を配っていた。
 恋人のすず(ミムラ)は死んでいた。(2年前の話で、すずの手が動いて紺野の手を握った?荒れは何のためのシーン?)


 見終わっての感想。
 最初の数回は、大学病院だけではなく大病院の裏側をチクチクするようなエピソードが多かったが最後の数回は、そうした問題点の洗い出しがなくなってしまった感じがしないでもない。
 最後の佐伯(松平健)のホスピス送りに研修医が反対したところなどは、単純に病院が長期医療を嫌ってすぐに転院なりホスピス送りをすることへの皮肉なのかもしれないが、それが描き切れていないように思う。
 佐伯と紺野が話している中で、「患者の生きるのを手助けするのが医者」という話は、確かにこれを忘れている医者が多いことはわかる。しかし、それは今の医者たちの多くがなぜ医者になっているのかを忘れているからだろう。医者の子供として医者になるのが当たり前、そんな医者が多いことも結構あるかもしれない。
 
 多くの医者と接してきて、上から目線でしか話せない医者が多かった。しかし、今大病院で接する医師の多くが患者の目線でという感じを受けはするが、それでも患者を無視する医者もまだまだいるなぁ。
 今大病院での問題で大きなものは、このドラマの中でのシーンにもあった。新見医師がコンピュータに向かったまま患者を触診しなかった、問診で環はを向いていなかったというところ。
 これは今は大病院だけではなく個人病院でさえある問題になっている。私が昨年かかったある委員での院長は、コンピュータに向かったまま話をした。私を見ていなかった。そんなに電子カルテが大切というのか?キーボードを見ながらしか診察できないのか?
 私の友人は、相変わらず手書きのカルテだ。年齢だと言われればそうかもしれないが、患者からはかなりな信頼度をもらっている。

 医師は、患者と正面から向き合って、目と目を見ながら話し、そして必要な時は触診をし、カルテの記入は手書きでも大丈夫。こうしていくことが患者の信頼をもらうことではないか?
 そんなことをこのドラマでは表現してはいたが、このドラマを医師は見ただろうか?見たとして、どう思っただろうか?どっぷりと中に使っていると、何も感じなくなっているかもしれないなぁ。。。。

 まぁ、いいドラマだったとは思います。

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