2006年12月15日
マイ旅 20 上杉謙信・上越市
マイナーな旅 ももう20枚になりました。ただマイナーな所だけではなく、時にはメジャーな所もと方針を変えてはいますが、やはり基本はマイナーなところをできるだけたくさん紹介できればと思っています。
写真の銅像は、戦国時代に長野の川中島で武田信玄と戦った『上杉謙信』の銅像です。場所は、謙信の居城のあった春日山、現在は公園になっています。この春日山の途中に、石垣の高いところに堂々とした姿でたっています。(像が小さいので、拡大しいたものを別に用意しました。)
謙信は、上越では英傑であり、上越市には「謙信大通」という名の広い道もあります。また、県内の信用金庫の名前が、『謙信』をもじったのか『けんしん』というそんな看板をよく見かけます。
この銅像のある春日山には、現在は城はありません。門な
どの遺構が少し下った林泉寺という寺に移されて、この寺には謙信ゆかりの宝物を収めた宝物殿もあります。
この山に城があったのは、本来は周りの見晴らしが非常によかったということなのですが、今は山自体が背の高い樹木にさえぎられ見晴らしはよくありません。高いところに上れば佐渡島が見えるかと期待していったのですが、見事裏切られました。(市役所の職員の方が、「これでも切ったんだよ」と。以前はもっとうっそうとしていたようです。)
**江戸の時代に、松平の殿様は、高田に城を構えました**
地図はこちら
写真の銅像は、戦国時代に長野の川中島で武田信玄と戦った『上杉謙信』の銅像です。場所は、謙信の居城のあった春日山、現在は公園になっています。この春日山の途中に、石垣の高いところに堂々とした姿でたっています。(像が小さいので、拡大しいたものを別に用意しました。)
謙信は、上越では英傑であり、上越市には「謙信大通」という名の広い道もあります。また、県内の信用金庫の名前が、『謙信』をもじったのか『けんしん』というそんな看板をよく見かけます。
この銅像のある春日山には、現在は城はありません。門な
どの遺構が少し下った林泉寺という寺に移されて、この寺には謙信ゆかりの宝物を収めた宝物殿もあります。
この山に城があったのは、本来は周りの見晴らしが非常によかったということなのですが、今は山自体が背の高い樹木にさえぎられ見晴らしはよくありません。高いところに上れば佐渡島が見えるかと期待していったのですが、見事裏切られました。(市役所の職員の方が、「これでも切ったんだよ」と。以前はもっとうっそうとしていたようです。)
**江戸の時代に、松平の殿様は、高田に城を構えました**
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2006年12月15日
マイ旅 19 錦帯橋・岩国市
子供の頃からいくつかの太鼓橋を渡ってきたような。
名古屋の熱田神宮の南門から入って確か左だったか、確か、今は渡ることができない、石の太鼓橋があったような記憶が。まだ本当に小さい頃、その橋を登ることができずに泣いたような記憶もある。もう60年も昔の話かと。
津和野から、雨の中を、そして山の中の国道を走りに走ってやっとたどり着いた。写真のときは幸い雨が上がっていたので、川には波紋もなくきれいなめがねを取ることができた。
向こう岸に歩いて、向こう岸だったか、こちらの岸だったかでお金を払って。向こうに渡っても特にこれといってみるべきものはあったかどうか。記憶にあるのは、佐々木小次郎の銅像。なぜこんな所にと思ったものです。
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この橋、維持費に相当お金がかかるようです。木造の橋は大変ですね。