2012年04月15日

韓国ドラマ トンイ 第51回 宣戦布告

 とうとう張禧嬪がトンイの部屋に押し掛けてきて戦線布告をした。

 そして後日、世子しか読むことが許されていない書物を王子=クム=トンイの息子が持っていたとして大騒ぎになる。クムは世子の座を狙ったとして朝廷内が組むの断罪を訴え出たのだ。クムはアリバイを尋ねられてが、兄の世子との約束で答えることはできなかった。それが余計に騒ぎを大きくしたのだが。
 実はこの騒ぎの書物の盗難は、チャン・ヒジェの仕業だったのが、それは表に出ず事件になりつつあるところで、世子が王に真実を語った。
 朝廷で大臣たちがクムの罪を訴えたが、王は世子がクムに与えたものであることを話し、大臣たちを叱責する。
 
 王は、トンイと会い、これが戦いの幕開きとの認識を話す。王も世子の体のことは気付いているようだ。そして王は、トンイを淑儀から淑嬪に格上げする(これはトンイを王妃にする布石らしい)というがトンイは迷う。しかし、ソヨンギやチョンスにその儀を受けるように説得される。

 トンイは淑嬪になる儀式を受ける。その儀式の様子を陰から『今に見ていろ』とばかりに恨めしい顔で眺めていrつ禧嬪だった。
 母親同士は敵対するのだが、その息子たちがいたって中がいいのだ。女官たちがクムの悪口を言っているのを世子がきつくたしなめている。 
 仲のいい兄弟は、お忍びで宮殿の外に出ていく。

 張禧嬪とヒジェの兄妹は、トンイとクムを消すことを画策する、一方で風見鶏のチャン・ムヨルはh時便につきながら形勢が変わった時のことを思いトンイに面会して協力を申し出る。これはムヨルが押さえている問題の女官を差し出す前準備だろう。


 宮殿から抜け出した世子とクムは、祭りの中に紛れ込む。そしてその楽しさをともに味わう。矢を壺の中に投げ込むゲームで世子は優勝し褒美をもらい大喜びの二人だ。しかし、時間のたつのを忘れている。。。。
 そして、端の上でお踊って祈ることを組むがやりたいという。時間を気にしながら同調した世子だ。そ捨て二人で小さい熱気球を空に放っていろる。
 世子の祈りは『クムと仲良く』、クムは・・・・  とことで、すり騒ぎが勃発。その犯人に間違えられ世子が捕盗庁に連れて行かれる。

 そのころ宮殿では、禧嬪が世子の東宮伝に世子に会いに来るが、世子は出てこれない。部屋に入ってもぬけの殻に驚く禧嬪。そして王に知らされ王も驚く。宮廷内は大騒ぎとなる。さらに、クムもいなくなっていることが分かり宮殿内の騒ぎはさらに大きくなる。

 トンイが自ら宮殿がいに二人を探しに出る。これにはチョンスも居力することになるのだが、何が何でも禧嬪よりも先に二人を見つけ出さなくてはならないのだ。
 しかししかし・・・・・・・・


 なんとも相変わらずのいい加減な警備ですなぁ。。。。。それにしても異母兄弟とはいえ、いい兄弟です。  
タグ :トンイ

Posted by 生田 at 22:00Comments(0)TrackBack(0)TVなど

2012年04月15日

平清盛 第15回 

 先週記事をアップした後のところで、家盛(大東駿介)は死んでしまった。なんでも落馬したとか。いろいろネットで家盛のことを探した。彼はかなり影が薄い。 何せ早く死んでしまったの野で歴史上に登場することが少ないからということらしい。しかし、読んだもののの中には『病死』と書いたものもあったなぁ。史実はどうなんだろう?

 家盛の遺体が忠盛の屋敷に運ばれた。取り乱す家盛の母・宗子(和久井映見)、そして『清盛が神輿に矢を射たからだ』といきり立つ忠正(豊原功補)。まぁ。かなり清盛(松山ケンイチ)は厄介者なのだが。

 清盛は西行=前の佐藤吉清(藤木直人)と出会うが。。。。 この西行はこの先歴史上に大きな役割をもつことになる。この清盛との出会いで、清盛は殺気を感じたほどで、出家したとはいえ武士の魂は抜けていなかったのかな?

 家盛が死んで結果的に忠盛は清盛を跡取りと宣言を下すが、周囲は反発が結構多い。なぜ忠盛は清盛を跡目にしたのか?この辺りが語られていないが、白河院の子供、そんなことはどうでもいいのだろうが、何か忠盛には清盛に大きくなるものを感じていたのだろうが。

 勢力争いは、平家の中だけではなく摂関家の藤原家の中でも起きている。何がどうなっているのやら、なんやらちまちました時間のストーリーではつかみきれないや。
 藤原頼長(山本耕史)が兄忠通(堀部圭亮)の役職を奪うことになる。これは頼道の父・忠実(國村隼)の采配だ。こうした身内の内紛が、いずれの歴史的騒乱の種として育っていく。

 高野さんに多宝塔を建立することになるのだが、その名谷清盛を忠盛が当てた。これが世継ぎの漸減とみるべきなんだが、これに身内の中での反発があるわけで。清盛はその図面を西行の前でもししまうが、西行は燃えのころを示した清盛に『一心に努めろ』と進言。

 源義朝のことろに乙女狩りがきた。何やら宮中の御璽のために、宮様のお世話のために差し出せと。(宮中に上がった後での画面がまた汚い。ホント、こんなことだから視聴率が下がるばかりなんだ。)
 
 鳥羽院の奥さん・得子(松雪泰子)に呼び出された忠盛。得子から公家の身分ももうじきとにおわされるのだが、そこに頼長が現れ家盛が頼長に忠誠を誓いすべてを投げ出すといったなどという。嫌みたっぷりの頼道の言葉に忠盛が切れる。

 曼荼羅に色をつける清盛。そこに忠盛が来て「もうこれ以上寄進するには及ばぬ」と。そして忠盛はここで愚痴り、寄進をやめろと怒鳴る。しかし、これに反発をする清盛。忠盛のいきり立つのを無視して色をつけようとするが・・・・・ (なんや知らんけど、変な親子やなぁ。)
 忠盛に額を割られた清盛だが、兄であるからこそ曼荼羅を寄進するのだと色を付け続ける。それを情けない顔して見る忠盛だが、どんな心中なのか、ドラマではわからず。

 さて、あと10分あるが、このあとはじっくり見ることに。また事件が起きるかも。  

Posted by 生田 at 18:40Comments(0)TrackBack(0)

2012年04月15日

久々に木彫りを(ミミズク)

骨折してから
力が入れられないし
まともに座れないから
木彫りをすることができなかった

きょうは
痛みも少ないので
骨折の前に彫っていた
ミミズクに手を入れてみた

久々に
小刀をもったが
何とか彫ることができた

出来上がりは
ちょいときつい顔しているなぁ
今の私の気持ちが
出ているのかも




ミミズクもフクロウの仲間
なので、これの縁起物
私自身の回復を祈ろう
  

Posted by 生田 at 16:03Comments(2)TrackBack(0)趣味の木彫り

2012年04月15日

ぽつんと一輪

この時期わが家の庭は花が少ない

そんな中でぽつんと一輪(というのかな?)
孤独に咲いている花がある

どうも植木鉢で育っていたものが
枯れたときにその土を庭に撒いたらしい
その中に種でもあったのか


花の名はムスカリというらしい
  
タグ :ムスカリ

Posted by 生田 at 12:22Comments(0)TrackBack(0)庭の花など
  
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1泊2日のドライブ旅行
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生田
 トップの写真は、我が家の庭で、鳥達につつかれ実もなくなり枯れ果てた柿の枝です。人生も同じで、仕事仕事で突き回されてここまで来て、落ち着いたら、だんだん枯れていくんだという思いです。  
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