2007年08月15日

65回目の8月15日

 終戦(敗戦)記念日なら 62回目ですが、私が生まれて迎えるこの日は65回目です。生まれた年に1回目を迎えていますが、このときは生まれてまだ一ヶ月たったばかり。戦争の真っ最中でした。

 終戦の年は、2歳と一月。
  この年の冬、防空壕に入った。まだ2歳になっていなかった。しかし、暗くて狭いところの印象が、暗所恐怖症、閉所恐怖症のトラウマなのかもしれない。
 このときの記憶は、母親に防空頭巾をくれといっていることと、なザか近くの消防自動車の鐘の音が、耳に残っている。

 玉音放送の流れた8月15日は、どこにいたっけ?名古屋ではなかったと、母に聞いたが、もう忘れてしまった。
 母は、「これで終わった」と安堵したとか。しかし、終わってはいなかった。その先とんでもない悲しみが待っていたと。私は、それをしっかりと知っている。
 母は、グラマン戦闘機による機銃掃射の的になった恐怖の経験も話してくれた。私を守るために、必死だったと。

 私は、戦争が大きらいです。それがどんな戦争であっても。戦争は、人と人が殺しあうことを前提としている。そして、その死んでいく人は、戦争を始める人ではなく、死にに行かされた人たちだから。

 政治家は、戦争をしたがる。そんなに戦争がしたいのなら、自分が戦場に行って、相手の政治家と戦えばいい。庶民を巻き込む必要などないのだ。
 政治家は言う。「美しい国を造るために、守るために戦うのだ」と。庶民は、戦いのない世界を望んでいるのではないだろうか? 誰も、好き好んで、死を前提に、うらみつらみのない人、他人を殺すことを望んでいるだろうか? よほどの殺人狂でもない限り、そんなことは思わないだろう。

 今の日本の政治家は、政治家の2世、3世が多くなった。彼らの親、そのまた親は政治家であったがゆえに戦争にいってはいない。前線にたってはいない。だから、今の政治家は肉親を亡くすことはすくなかったのではないか?だから、庶民の悲しみを心底理解できないのではないかとすら思う。

 「美しい国」とは、誰にとっての国だろう? 政治家の独りよがりの「美しい国」は、私には不要なもの。人が望みもしないで殺しあうなんていうことがない、「心の美しい国」を私は望んでいる。


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 いろんな考えがあると思いますが、「攻められる」という被害妄想を持つ必要のない、本当に戦いのない世界を望んで書いています。理想と言われるとは思いますが、人が人を殺すのは、最悪のこととの思いからです。


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