2007年09月02日
神岡から富山 06旅の記録 第1日9
第1日 古川から魚津へ その1 41号線を 神岡経由で 富山市内へ
昔、国府の近くまで走っているから、その先古川も含め、41号線は未知の道ということになる。しかし、ほとんど一本道だ。車の量も多くない。だから飛ばせるのだ。。。(法定は守っているつもりです)
でもね、思っていたよりも起伏激しい。宮川は富山に向かって下っていくのに、どうして国道は起伏が激しいのやら。。。(実は、宮川は、41号線に沿っていないのだ。JR高山線、国道360戦に沿っている。ひょっとしたrこちらは起伏が少ないのだろうか?)
国道41号線をを走るときは窓を開けて走るのだが、気温が低く、途中で窓は半分以下にした。それだけ高いところを走っているようだ。もう明日は6月だよ。
途中神岡の町を抜ける。ここも今は飛騨市。これまでの市のイメージは平成の合併のおかげで完全に吹っ飛んだ。こんな山の中を、古川のように人の少ない町を市といわれても、大都会の中で、大きな市の中で生活をしてきた人にはイメージが違いすぎるのではないだろうか。
しかし、神岡にはスーパーがあったぞ。(見えたというだけのこと、行ってません)
神岡を過ぎ、どこかのトンネルを過ぎたら富山県に入っていた。気温が違う、暑くなった。そんなに下ってきたということか。とにかくトンネルを抜けたとたんに暑くなったのだ。
この下りの中で気付いたことは、ダム湖が連続しているということだ。ダム湖があって、ダムがある。その下にまたダム湖がある。そんなイメージだった。(地図を見たらたくさんはないのだが、なんとなく続いている感じがするね)
こうしたダム湖のおかげで車は崖っぷちを走らねばならないのではないのか。本当の川の流れに沿っていれば、もっと下の道を走ることが出来のではないかと思うのだ。トンネルといっても片側のあいているヤツだが、これが結構長い距離あった。たまたま工事中でもあったのだが、渋滞していたなぁ。
富山に入ったら、暑いだけではない、車の量も増えた。国道はさらに北上している。どこまで北上するのか。北陸自動車道のインターも越えた。富山市の市街に入っていく。道路幅もかなり広くなった。
道路幅は広くなったが、何故かセンター側を走る車が多いのはなぁ・・
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昔、国府の近くまで走っているから、その先古川も含め、41号線は未知の道ということになる。しかし、ほとんど一本道だ。車の量も多くない。だから飛ばせるのだ。。。(法定は守っているつもりです)
でもね、思っていたよりも起伏激しい。宮川は富山に向かって下っていくのに、どうして国道は起伏が激しいのやら。。。(実は、宮川は、41号線に沿っていないのだ。JR高山線、国道360戦に沿っている。ひょっとしたrこちらは起伏が少ないのだろうか?)
国道41号線をを走るときは窓を開けて走るのだが、気温が低く、途中で窓は半分以下にした。それだけ高いところを走っているようだ。もう明日は6月だよ。
途中神岡の町を抜ける。ここも今は飛騨市。これまでの市のイメージは平成の合併のおかげで完全に吹っ飛んだ。こんな山の中を、古川のように人の少ない町を市といわれても、大都会の中で、大きな市の中で生活をしてきた人にはイメージが違いすぎるのではないだろうか。
しかし、神岡にはスーパーがあったぞ。(見えたというだけのこと、行ってません)
神岡を過ぎ、どこかのトンネルを過ぎたら富山県に入っていた。気温が違う、暑くなった。そんなに下ってきたということか。とにかくトンネルを抜けたとたんに暑くなったのだ。
この下りの中で気付いたことは、ダム湖が連続しているということだ。ダム湖があって、ダムがある。その下にまたダム湖がある。そんなイメージだった。(地図を見たらたくさんはないのだが、なんとなく続いている感じがするね)
こうしたダム湖のおかげで車は崖っぷちを走らねばならないのではないのか。本当の川の流れに沿っていれば、もっと下の道を走ることが出来のではないかと思うのだ。トンネルといっても片側のあいているヤツだが、これが結構長い距離あった。たまたま工事中でもあったのだが、渋滞していたなぁ。
富山に入ったら、暑いだけではない、車の量も増えた。国道はさらに北上している。どこまで北上するのか。北陸自動車道のインターも越えた。富山市の市街に入っていく。道路幅もかなり広くなった。
道路幅は広くなったが、何故かセンター側を走る車が多いのはなぁ・・
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