2016年09月18日
京都で食べたそば 1
ナナさんからコメントをいただいているので、いろいろ思い出しています。
京都は、本当に毎年欠かすことなく行っているように思う。もっとも30代の頃は仕事に追われ、子育てに追われて旅行すらまともにしていないのでちょいとブランクはありますが。
大阪での仕事の関係で仕事の前後に京都に宿泊するようになったのと、息子が京都の某大学に行っていたこと、そして親鸞研究を始めて何度となく親鸞の足跡を訪ねることになったことなどで、この20数年は毎年1地度なんてことではなく、多い時は2ヶ月に一度は行っていた。
で、何を食べるかということになると、金がないので料亭なんてのはダメだし、酒が飲めないから飲み屋さんもダメだし、ということでyどの近くで適当になんてことが多かったですが。
京都のそばで一番たくさん通ったところは、これはもう今は昔なお話になってしまうけど、それなりのうまさはあったけど、まぁ一般向きの高級志向ではなかったが・・・
親鸞研究を始めて、初めて京都に行き最初のお寺が、醍醐寺の南にある日野の法界寺だった。雨上がりの日に名古屋ら快速の乗り継ぎで山科に行き、山科から地下鉄で醍醐に行き、醍醐から歩いて醍醐寺に行き、そこからバスに乗って石田大山まで行き、そこから歩いて法界寺に行った。朝簡単な朝食で行ったのだが、昼近くに法界寺の近くにきたのだが、有名なお寺だから近くには門前町でもあるだろうなんて思い込みが邪魔をした。なんとど田舎だったのである。お腹明日いたなぁと思っても食べるところないわぁ。。。。と思っていたところ、父薬師の石舟のある交差点を法界寺に向かって曲がったら、おやお蕎麦屋さんがある。名前を”高波”という。お腹が空いていたこともあり、疲れていたので座りたかったもこともあり。おこで食べた”天ざる”はものすごく美味しかったなぁ。。。。。ただ、食通はどう思われるかわからないですが。
この”高波”は、実は昨年店を閉められてしまいました。毎年法界寺を訪れるたびにここで食事をしたものですが。気のいいおかみさんとご主人の2人でやっておられたのですが、近くの住宅地の開発でちょっと離れたところにたくさんお店もできるようになったということから、出会えがなくなってきたということで、泣き泣きおじられたと、昨年訪れたときに、おかみさんから伺いました。もう、あの”高波”のソバは食べることができなくなりました。
京都は、本当に毎年欠かすことなく行っているように思う。もっとも30代の頃は仕事に追われ、子育てに追われて旅行すらまともにしていないのでちょいとブランクはありますが。
大阪での仕事の関係で仕事の前後に京都に宿泊するようになったのと、息子が京都の某大学に行っていたこと、そして親鸞研究を始めて何度となく親鸞の足跡を訪ねることになったことなどで、この20数年は毎年1地度なんてことではなく、多い時は2ヶ月に一度は行っていた。
で、何を食べるかということになると、金がないので料亭なんてのはダメだし、酒が飲めないから飲み屋さんもダメだし、ということでyどの近くで適当になんてことが多かったですが。
京都のそばで一番たくさん通ったところは、これはもう今は昔なお話になってしまうけど、それなりのうまさはあったけど、まぁ一般向きの高級志向ではなかったが・・・
親鸞研究を始めて、初めて京都に行き最初のお寺が、醍醐寺の南にある日野の法界寺だった。雨上がりの日に名古屋ら快速の乗り継ぎで山科に行き、山科から地下鉄で醍醐に行き、醍醐から歩いて醍醐寺に行き、そこからバスに乗って石田大山まで行き、そこから歩いて法界寺に行った。朝簡単な朝食で行ったのだが、昼近くに法界寺の近くにきたのだが、有名なお寺だから近くには門前町でもあるだろうなんて思い込みが邪魔をした。なんとど田舎だったのである。お腹明日いたなぁと思っても食べるところないわぁ。。。。と思っていたところ、父薬師の石舟のある交差点を法界寺に向かって曲がったら、おやお蕎麦屋さんがある。名前を”高波”という。お腹が空いていたこともあり、疲れていたので座りたかったもこともあり。おこで食べた”天ざる”はものすごく美味しかったなぁ。。。。。ただ、食通はどう思われるかわからないですが。
この”高波”は、実は昨年店を閉められてしまいました。毎年法界寺を訪れるたびにここで食事をしたものですが。気のいいおかみさんとご主人の2人でやっておられたのですが、近くの住宅地の開発でちょっと離れたところにたくさんお店もできるようになったということから、出会えがなくなってきたということで、泣き泣きおじられたと、昨年訪れたときに、おかみさんから伺いました。もう、あの”高波”のソバは食べることができなくなりました。