2016年10月17日
仏さんに惚れ込んで。。。15 東大寺 盧舎那仏(大仏さん)
おそらく東大寺に行ったことのない人は、いないと思えるくらいに有名なてあだけど、本当に皆さんが行っているんだろうかと思うときもある。
名古屋で生まれ育つと、私の年齢(60代から上)は多分に修学旅行で奈良・京都に行っているかと思う。そして私の歩いたコースを多くが歩くともうけど、奈良駅(昔国鉄。今JR)で降りて一直線で東に行く(結構な距離あるけど)と猿沢池で、階段上がって興福寺見て、奈良国立博物館の裏手(飛び火野カナ?)を通って、天理に向かう道あたりで左に折れて北に向かうと東大寺に至る。小学校の児童にはちょいときついコースなんだけどね、昔は食糧事情もよくなかったから体力的にも大変だたよな。(今思い出したけど、私の修学旅行は”お米”を持って行ったかと遠い記憶)
東大寺も広い寺だから、この中歩くだけでも大変なんだですね。とにかく大仏殿に到着して、みあげたあの盧舎那仏。盧舎那仏って、ほとんどの人は言わない。大体”大仏さん”と行ってしまう。日本で最大の仏像と言われているから大仏の愛称なんだろう。あちこちで大仏さんを見ているからその印象の比較でもやっぱりでかい。。。。
東大寺は、このシリーズでは前に戒壇堂(昔は戒壇院と言っていた)の四天王、三月堂(法華堂)の不空羂索観音についてかいたが、やっぱり大仏さん=盧舎那仏を外すわけにはいかない。
と言って、そんなに好きと思ってはいない。とはいえ嫌いでは絶対にない。初めて訪れた時は、ただただでかくて、ただ見上げるだけ。仏さんの印象は全く残っていない。残ったのは柱の穴くらいかなぁ。。。。でも、よく歩かされたよ、そのあと若草山にも生かされているんだよ。雨で登らなかったと記憶しているけど。
大仏さん=盧舎那仏には、その後何度もお会いしています。中学の時、大学の時、大阪に住むようになっても、そして名古屋に戻って来てからの数回行っている。大仏さんの顔を見るたびに、印象が変わる。多分、その時その時の心の持ちようや、仏像に関する知識の変化、歴史上に出てくる知識の変化などで、想いが変わるのだと思う。でも、やっぱり私自身の心の持ちようが印象のわかる素だと思っている。
大仏さんは、結構硬い顔をしていると思う。今のは江戸時代に修復された顔で時代を反映しているのかもしれないが、開眼当時の顔はどんなだったろうと、思いをはせるだけだ。あの平のバカ息子=重衡が変なこと考えなかったらこんなことにはなっていないだろうともうけど残念ねぇ。
しかし、人はなぜこの大仏を見に行くのだ?盧舎那仏への信仰なんてとても考えられない。では?美術品を見る?歴史を見る?いろいろだろうなぁ。。。。。美術品として見るのなら周囲にある多聞天、広目天の方が良かったりしないか?あれもでかいけど。でも、真ん中に座る大仏さんは別物だよねぇ。。
そうそう、大仏殿の内部の撮影は、三脚を立てない限り撮影可能なんだって。。
名古屋で生まれ育つと、私の年齢(60代から上)は多分に修学旅行で奈良・京都に行っているかと思う。そして私の歩いたコースを多くが歩くともうけど、奈良駅(昔国鉄。今JR)で降りて一直線で東に行く(結構な距離あるけど)と猿沢池で、階段上がって興福寺見て、奈良国立博物館の裏手(飛び火野カナ?)を通って、天理に向かう道あたりで左に折れて北に向かうと東大寺に至る。小学校の児童にはちょいときついコースなんだけどね、昔は食糧事情もよくなかったから体力的にも大変だたよな。(今思い出したけど、私の修学旅行は”お米”を持って行ったかと遠い記憶)
東大寺も広い寺だから、この中歩くだけでも大変なんだですね。とにかく大仏殿に到着して、みあげたあの盧舎那仏。盧舎那仏って、ほとんどの人は言わない。大体”大仏さん”と行ってしまう。日本で最大の仏像と言われているから大仏の愛称なんだろう。あちこちで大仏さんを見ているからその印象の比較でもやっぱりでかい。。。。
東大寺は、このシリーズでは前に戒壇堂(昔は戒壇院と言っていた)の四天王、三月堂(法華堂)の不空羂索観音についてかいたが、やっぱり大仏さん=盧舎那仏を外すわけにはいかない。
と言って、そんなに好きと思ってはいない。とはいえ嫌いでは絶対にない。初めて訪れた時は、ただただでかくて、ただ見上げるだけ。仏さんの印象は全く残っていない。残ったのは柱の穴くらいかなぁ。。。。でも、よく歩かされたよ、そのあと若草山にも生かされているんだよ。雨で登らなかったと記憶しているけど。
大仏さん=盧舎那仏には、その後何度もお会いしています。中学の時、大学の時、大阪に住むようになっても、そして名古屋に戻って来てからの数回行っている。大仏さんの顔を見るたびに、印象が変わる。多分、その時その時の心の持ちようや、仏像に関する知識の変化、歴史上に出てくる知識の変化などで、想いが変わるのだと思う。でも、やっぱり私自身の心の持ちようが印象のわかる素だと思っている。
大仏さんは、結構硬い顔をしていると思う。今のは江戸時代に修復された顔で時代を反映しているのかもしれないが、開眼当時の顔はどんなだったろうと、思いをはせるだけだ。あの平のバカ息子=重衡が変なこと考えなかったらこんなことにはなっていないだろうともうけど残念ねぇ。
しかし、人はなぜこの大仏を見に行くのだ?盧舎那仏への信仰なんてとても考えられない。では?美術品を見る?歴史を見る?いろいろだろうなぁ。。。。。美術品として見るのなら周囲にある多聞天、広目天の方が良かったりしないか?あれもでかいけど。でも、真ん中に座る大仏さんは別物だよねぇ。。
そうそう、大仏殿の内部の撮影は、三脚を立てない限り撮影可能なんだって。。