2017年04月30日
4泊5日 石垣島の旅 3日目の6 西表島6 由布島3
由布島のレストラン=食堂で離島めぐりのコースの食事を食べて、満足したところでこの由布島の施設の中で一番奥にある”ブーゲンビリア”のガーデンに向かいます。
「ブーゲンビリア」というと一般に人は何を頭に描くのでしょうか?私は「ぶrーゲンビリア」という単語から、太平洋戦争の大激戦地「ブゲンビル等」を頭に描いたのです。実は、西表島に来てから「ブーゲンビリア」という言葉があちこちにでて来ます。なんでここで「ブーゲンビル」を耳にするのかと訝しく思っていたのですが、一般に「ブーゲンビリア」といえば南国の花を意味するわけで、日本の南国八重山諸島なら当たり前の話なのですが、私にはそれだけで済まなかったということです。
旅行とは関係ないのですが、私の実の父親は激戦地の「ブーゲンビル島」に激戦の最中に赴いたようで、そこでマラリアだと思うのですが罹患してしまい、そのまま命を落としているのです。多分そのおかげで的に銃を向けることもなく、人を殺すこともなく命を落としたと思うのです。そんなことから、私は「ブーゲンビリア」に導かれるように「ブーゲンビリアガーデン」に向かったのです。
ブーゲンビリアガーデンは、前にも書いたようにこのツアーでの施設の中では一番奥にあります。そこにたどり着くまでにはいろんなものがあります。レストランからヤシの林の中を進んで行くと右側にちょっと林の切れ目がありその先に海岸が見えました。
画像の真ん中に写っているのは、エイのでっかいやつのマンタをかたどった置物でこの浜は「マンタの浜」とか言っていたと思います。この海岸に立ち寄ります。
海岸といってもサンゴがゴツゴツでているところで砂浜はあまりなかったと記憶しています。とに白結構先までそれが続いているようで、ちょっと沖の方で親子が何かを採っていました。何を取っていたのかは、ついぞ確認することもなくその浜を離れてガーデンに向かいます。
途中に「会の館」という建物がありますが(今地図で確認したら、れすとらんからは「カイアの館」がマンタの浜よりも先に出会っていたようです。)、これは帰りに立ち寄ることにして先に進みます。突き当りがあって、これを右折そしてその先で左折すると温室にたどり着きます。
この温室を「ブーゲンビリアガーデン」と名付けているところで、中はブーゲンビリア一色でした。
そんなに広い温室ではないですが、これだけブーゲンビリアだけというもの乙なものでしょう。
ブーゲンビリアの花の名前と島の「ブーゲンビル」は同じ語源だそうで、人の名前から来ているのだと、帰って来てからネットで調べて知りました。
昨年は、上高地で雨の中を歩いて河童橋mでいったところで急に晴れて、惹かれるとように明神池まで行きました。それも父親の思い出に引かれてということだったのですが、この由布島でもブーゲンビリアという言葉に引かれて、実は旅行に来て疲れがピークに来ていたのですがそれをおしてのブーゲンビリアガーデンでした。来て良かったと思ったのものです。
さてもう帰らねば。歩いて来ただけ歩かねばならないのです。大した距離ではないですが、この歳になると一眼レフが結構重く感じます。それを予想してちょっと軽い、機能の少ないのを肩のですが・・・
元来た道に戻ってたところで、道が交差するとこの右手前方に薄汚れた小屋があるのに遭遇しました。何かと思ったら、昔の小学校の遺物だそうです。
現在、由布島は人は住んでいなくて、島民が全て西表島に移住したとこのとこで、人が住んでいる頃にあった小学校がこれだということです。学校というイメージは全くありません。ここでどんな教育がされていたのだろうと・・・・・・・・
来るときに寄らなかった会の館に立ち寄ります。中は薄暗いのですが、この辺りで採れる貝を並べているのだと思います。(正直興味がないので・・・・)
中を見渡すと左ようにウミガメの標本を展示してました。そしてその左側の壁の前に大きな法螺貝(正式な名前はなんというんだったけ、きおくにないです)
かなり大きいもので、この画像の中の右手に小さい黄色いものがありますが、それが名市大ですから、いかに大きかったをわかってもらえるかなぁ。。
さて、しんどいのを頑張って、待合所に戻りました。家内と合流したのですが、家内は別なところで蝶々がいっぱい飼育されているとことろに行って来たようです。行きたかったのですが、指定時刻までには戻って来れそうもないので諦めました。蝶のいい写真が撮れたかもしれないのに。。。(実は、あの小学校の跡地の近くにで大きな黒いアゲハを見ています。残念ながら止まってくれなかったし、すぐに消えてしまったので、写真には写ってない・・・涙)
「ブーゲンビリア」というと一般に人は何を頭に描くのでしょうか?私は「ぶrーゲンビリア」という単語から、太平洋戦争の大激戦地「ブゲンビル等」を頭に描いたのです。実は、西表島に来てから「ブーゲンビリア」という言葉があちこちにでて来ます。なんでここで「ブーゲンビル」を耳にするのかと訝しく思っていたのですが、一般に「ブーゲンビリア」といえば南国の花を意味するわけで、日本の南国八重山諸島なら当たり前の話なのですが、私にはそれだけで済まなかったということです。
旅行とは関係ないのですが、私の実の父親は激戦地の「ブーゲンビル島」に激戦の最中に赴いたようで、そこでマラリアだと思うのですが罹患してしまい、そのまま命を落としているのです。多分そのおかげで的に銃を向けることもなく、人を殺すこともなく命を落としたと思うのです。そんなことから、私は「ブーゲンビリア」に導かれるように「ブーゲンビリアガーデン」に向かったのです。
ブーゲンビリアガーデンは、前にも書いたようにこのツアーでの施設の中では一番奥にあります。そこにたどり着くまでにはいろんなものがあります。レストランからヤシの林の中を進んで行くと右側にちょっと林の切れ目がありその先に海岸が見えました。
画像の真ん中に写っているのは、エイのでっかいやつのマンタをかたどった置物でこの浜は「マンタの浜」とか言っていたと思います。この海岸に立ち寄ります。
海岸といってもサンゴがゴツゴツでているところで砂浜はあまりなかったと記憶しています。とに白結構先までそれが続いているようで、ちょっと沖の方で親子が何かを採っていました。何を取っていたのかは、ついぞ確認することもなくその浜を離れてガーデンに向かいます。
途中に「会の館」という建物がありますが(今地図で確認したら、れすとらんからは「カイアの館」がマンタの浜よりも先に出会っていたようです。)、これは帰りに立ち寄ることにして先に進みます。突き当りがあって、これを右折そしてその先で左折すると温室にたどり着きます。
この温室を「ブーゲンビリアガーデン」と名付けているところで、中はブーゲンビリア一色でした。
そんなに広い温室ではないですが、これだけブーゲンビリアだけというもの乙なものでしょう。
ブーゲンビリアの花の名前と島の「ブーゲンビル」は同じ語源だそうで、人の名前から来ているのだと、帰って来てからネットで調べて知りました。
昨年は、上高地で雨の中を歩いて河童橋mでいったところで急に晴れて、惹かれるとように明神池まで行きました。それも父親の思い出に引かれてということだったのですが、この由布島でもブーゲンビリアという言葉に引かれて、実は旅行に来て疲れがピークに来ていたのですがそれをおしてのブーゲンビリアガーデンでした。来て良かったと思ったのものです。
さてもう帰らねば。歩いて来ただけ歩かねばならないのです。大した距離ではないですが、この歳になると一眼レフが結構重く感じます。それを予想してちょっと軽い、機能の少ないのを肩のですが・・・
元来た道に戻ってたところで、道が交差するとこの右手前方に薄汚れた小屋があるのに遭遇しました。何かと思ったら、昔の小学校の遺物だそうです。
現在、由布島は人は住んでいなくて、島民が全て西表島に移住したとこのとこで、人が住んでいる頃にあった小学校がこれだということです。学校というイメージは全くありません。ここでどんな教育がされていたのだろうと・・・・・・・・
来るときに寄らなかった会の館に立ち寄ります。中は薄暗いのですが、この辺りで採れる貝を並べているのだと思います。(正直興味がないので・・・・)
中を見渡すと左ようにウミガメの標本を展示してました。そしてその左側の壁の前に大きな法螺貝(正式な名前はなんというんだったけ、きおくにないです)
かなり大きいもので、この画像の中の右手に小さい黄色いものがありますが、それが名市大ですから、いかに大きかったをわかってもらえるかなぁ。。
さて、しんどいのを頑張って、待合所に戻りました。家内と合流したのですが、家内は別なところで蝶々がいっぱい飼育されているとことろに行って来たようです。行きたかったのですが、指定時刻までには戻って来れそうもないので諦めました。蝶のいい写真が撮れたかもしれないのに。。。(実は、あの小学校の跡地の近くにで大きな黒いアゲハを見ています。残念ながら止まってくれなかったし、すぐに消えてしまったので、写真には写ってない・・・涙)