2017年07月11日
木彫りで迷う
木彫り、趣味で始めて7年目になるかな・・・ 仕事をおっぽり出したので、何をしようかと思っていた。最初は、敬老パスを使って市内のバスの旅をしようなんて思ったんだけど、始めて見たら、その頃はまだ癌宣告を受けてなかったのだけど、その代わりにトイレがものすごく近くて長いことバスに乗れないし、降りたところにトイレがないともう困ることになる、と気づいてやめたら、何をしたらいいのやらと思っていたのだが、そこで一念発起。昔々、大学生の頃実家から自転車で行けるところにあら顔観音があって、そこに円空仏があるので見に行った。
そして護法神に惚れてしまったのだが、何せ木彫りなんてするつもりもなく、ただただ記憶にとどめていたのだが、その記憶がむっくり起き上がって、円空さん掘ってみるかって。。。。
親父が使っていた日曜大工の飲みを使って何お資料もなく掘ったのが最初。本を買って来てそれを真似て掘ったのだがもの足らず、木彫り、円空仏をほり会に入って本格的に始めた。それから5年近くになるなぁ。
決起雨たくさんの円空もどきの模刻を掘っているけど、これまではただ単に真似るだけ、それがだんだんツッコミを入れて、気持ちを入れ込んで掘り始めて2年近くになる。これまでは本を見て、写真を見てそれなrにに真似て彫っていたのだが、今年の初めに大垣の報恩寺の薬師三尊と十二神将を彫ったことで、なぜか江南市の音楽寺の薬師三尊と十二神将を掘ることになって締まった。
そこで本を見たり、資料を色々調べたり、ついには音楽寺に行って本物を見て来たりしたのだが、はたと困った。これまで彫って来た円空仏と作風が違うのだ。十二神将は確かないいわゆる円空仏なのだが、阿弥陀三尊がなんとなく違うのだ。どう違うかというと、荒削りではあるけど、いわゆる円空仏の荒削りではなく、何となく一派なん的な仏像の堀に近いところがあるのだ。一見しただけでは気づかなかったのだが、掘り始めてしこしたってから「ん????」という気持ちになった。
円空さんは、初期の頃の作品は、いわゆる物資の作る仏像を目指していたのではないかと思えるものはほとんど。それが伊勢に旅をして、奈良で法隆寺に行ったあたりから急に変わって知ったような気がするのだが、この音楽寺の薬師三尊はその作風のかと気になったのではないかって。。。。。そんな気がしたのだ。
ということは、私はその作風の中に迷いを見たような気がして。その迷いをわたhし自身が迷って締まったということだ。荒削りの円空仏を目指して来た私が、ごく当たり前の仏像となると迷うことになる。
円空仏以外の仏像も結構彫ってはいるけど、それらを彫る時は全く違う気持ちで彫るのでとうぜん違う彫り方になるのだが、中途半端な語りの迷いのものは彫る時の気分が定まらないのだ。
ということで、このひと月半、迷いながら掘りつつある。とはいえ3ヶ月先には展覧会があるので、それまでに迷いつつも十二神将のうちの男体化を仕上げなければならない。迷いを持ったまま彫るのもそれもありかなぁ。。。。。
そして護法神に惚れてしまったのだが、何せ木彫りなんてするつもりもなく、ただただ記憶にとどめていたのだが、その記憶がむっくり起き上がって、円空さん掘ってみるかって。。。。
親父が使っていた日曜大工の飲みを使って何お資料もなく掘ったのが最初。本を買って来てそれを真似て掘ったのだがもの足らず、木彫り、円空仏をほり会に入って本格的に始めた。それから5年近くになるなぁ。
決起雨たくさんの円空もどきの模刻を掘っているけど、これまではただ単に真似るだけ、それがだんだんツッコミを入れて、気持ちを入れ込んで掘り始めて2年近くになる。これまでは本を見て、写真を見てそれなrにに真似て彫っていたのだが、今年の初めに大垣の報恩寺の薬師三尊と十二神将を彫ったことで、なぜか江南市の音楽寺の薬師三尊と十二神将を掘ることになって締まった。
そこで本を見たり、資料を色々調べたり、ついには音楽寺に行って本物を見て来たりしたのだが、はたと困った。これまで彫って来た円空仏と作風が違うのだ。十二神将は確かないいわゆる円空仏なのだが、阿弥陀三尊がなんとなく違うのだ。どう違うかというと、荒削りではあるけど、いわゆる円空仏の荒削りではなく、何となく一派なん的な仏像の堀に近いところがあるのだ。一見しただけでは気づかなかったのだが、掘り始めてしこしたってから「ん????」という気持ちになった。
円空さんは、初期の頃の作品は、いわゆる物資の作る仏像を目指していたのではないかと思えるものはほとんど。それが伊勢に旅をして、奈良で法隆寺に行ったあたりから急に変わって知ったような気がするのだが、この音楽寺の薬師三尊はその作風のかと気になったのではないかって。。。。。そんな気がしたのだ。
ということは、私はその作風の中に迷いを見たような気がして。その迷いをわたhし自身が迷って締まったということだ。荒削りの円空仏を目指して来た私が、ごく当たり前の仏像となると迷うことになる。
円空仏以外の仏像も結構彫ってはいるけど、それらを彫る時は全く違う気持ちで彫るのでとうぜん違う彫り方になるのだが、中途半端な語りの迷いのものは彫る時の気分が定まらないのだ。
ということで、このひと月半、迷いながら掘りつつある。とはいえ3ヶ月先には展覧会があるので、それまでに迷いつつも十二神将のうちの男体化を仕上げなければならない。迷いを持ったまま彫るのもそれもありかなぁ。。。。。