2007年10月11日
松本。繁華街 06旅の記録 3日目 16
第3日 北国街道・19号を走る その16
松本市内を歩く 繁華街
JR松本駅を出て、松本城のほうに足を向ける。どこを通っていこうかと、駅の前を歩きながら考えた。繁華街を見て歩くのなら駅前の大通りを東に向かい、大手町から南に延びる通りで左折して、真直ぐ城に向かうのが一番いいのかもしれないが、市街地再開発の終わった街中を歩いてみようと、大通りから外れて北の道を選んだ。
夜ともなればいっぱいのみに来る客がたむろする通りだ。そんなの自宅なる時間には何年か前にこのあたりを歩いたことがある。20年位前には明るい時間帯に、当時は重い重いパソコンを担いで歩いたこともあった。
この飲み屋街の印象は、ほとんど変わったと思わない。車も通るが、それ以上に人があるくことぉ優先して道路のつくりだ。夜ならば赤い灯青い灯がともり、それなりの雰囲気で歩けるのだろうが、どこの飲み屋街は明るいうちに歩いても、なんとなく違和感を感じるだけだ。
そのまま道なりに進むと再開発の一番の見せ所という場所に来た。このあたりは、昔はがらんとしていたという記憶だ。がらんとしていたのは私が来たときは再開発の前で、町の中に一切手を加えないようにしていた時期でもあったからと、どこかで聞いたように思う。今は、ここに「パルコ」ができ、若者を集めているのだろう。
京都や奈良のように、古い町並みには、昔ながらの町屋が多く残っている。その町屋を改装した再開発の方向なのだが、松本の場合には古いものをすべて撤去して新しいものを構築したということなのだろう。
京都・奈良の再開発か、松本の再開発か、おそらく賛否分かれるところかもしれない。ただ、私のような旅行者から見たとき、松本の再開発は古きよき時代の面影はなく、国宝としての松元城の城下町を歩くというノスタルジーを味わうことができないのはなんとなく残念な気持ちだ。今の時代の施設が並んでいると、大都会のどこへ行っても同じイメージで、違ったところを旅行しているという気分にはなれないものだ。
再開発された街の中は、私のような年齢層には不向きかなと思う。時間的にまだ早いので人はあまりいないが、その少ない人のほとんどが若者である。おじさん一人で歩いていると場違いという印象になる。
記憶をたどって、雰囲気を書こうにも前記したような印象で、記憶に残すことに抵抗があるのかもしれない。
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松本市内を歩く 繁華街
JR松本駅を出て、松本城のほうに足を向ける。どこを通っていこうかと、駅の前を歩きながら考えた。繁華街を見て歩くのなら駅前の大通りを東に向かい、大手町から南に延びる通りで左折して、真直ぐ城に向かうのが一番いいのかもしれないが、市街地再開発の終わった街中を歩いてみようと、大通りから外れて北の道を選んだ。
夜ともなればいっぱいのみに来る客がたむろする通りだ。そんなの自宅なる時間には何年か前にこのあたりを歩いたことがある。20年位前には明るい時間帯に、当時は重い重いパソコンを担いで歩いたこともあった。
この飲み屋街の印象は、ほとんど変わったと思わない。車も通るが、それ以上に人があるくことぉ優先して道路のつくりだ。夜ならば赤い灯青い灯がともり、それなりの雰囲気で歩けるのだろうが、どこの飲み屋街は明るいうちに歩いても、なんとなく違和感を感じるだけだ。
そのまま道なりに進むと再開発の一番の見せ所という場所に来た。このあたりは、昔はがらんとしていたという記憶だ。がらんとしていたのは私が来たときは再開発の前で、町の中に一切手を加えないようにしていた時期でもあったからと、どこかで聞いたように思う。今は、ここに「パルコ」ができ、若者を集めているのだろう。
京都や奈良のように、古い町並みには、昔ながらの町屋が多く残っている。その町屋を改装した再開発の方向なのだが、松本の場合には古いものをすべて撤去して新しいものを構築したということなのだろう。
京都・奈良の再開発か、松本の再開発か、おそらく賛否分かれるところかもしれない。ただ、私のような旅行者から見たとき、松本の再開発は古きよき時代の面影はなく、国宝としての松元城の城下町を歩くというノスタルジーを味わうことができないのはなんとなく残念な気持ちだ。今の時代の施設が並んでいると、大都会のどこへ行っても同じイメージで、違ったところを旅行しているという気分にはなれないものだ。
再開発された街の中は、私のような年齢層には不向きかなと思う。時間的にまだ早いので人はあまりいないが、その少ない人のほとんどが若者である。おじさん一人で歩いていると場違いという印象になる。
記憶をたどって、雰囲気を書こうにも前記したような印象で、記憶に残すことに抵抗があるのかもしれない。
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