2023年04月22日
仏像を考える その1 秘仏とお前立ち
春や秋の観光シーズンともなるとなぜか「秘仏ご開帳」と言われるものをよく見かけます。特に顕著なのは観光寺と揶揄されている寺に多いのではないかと思っています。
この”秘仏”とはどんな意味を持ち、どんないわれがあるのだろうと、かなり以前から思っています。昔から寺巡りの多い私は、特に国宝などの仏像を拝観するのに出かけているのですが、”秘仏”と称してなかなか見ることができないものもあります。
これは一例だけれども、かの法隆寺夢殿の救世観音は、絶対秘仏として長い歴史を持っていたようだったのを、岡倉天心やらフェノロサの働きで日の目を見たのですが、とにかく長い間布に包まれ、逗子に納められていた事で、制作当時に近い金箔の輝きを失ってなかったようです。
これは秘仏であったということの副作用に過ぎないと思います。しかし、仏像は信仰の対象であり、人が何かを祈念する際の対象のはずで、布に包み逗子に納めていて記念する際にその対象物としての意味があったのだろうかと私は訝しんでいます。
まぁ秘仏を逗子に納めてしまっているので祈りの対象にできないから代替えとして”お前立ち”を設けているところが多いと思います。(ネット情報には、その”お前立ち”すら秘仏になっているというところもあるようです。)
多くの寺を見て回って、と言っても信仰の対象としてではなく、あくまでも古美術、美樹品として拝観してきて思ったことは、その寺の建立の時代にもよりけりかということです。印象としては、奈良時代の多くの古い寺院ではそれほど”秘仏”は存在していないような気もしています。法隆寺・夢殿の”救世観音”あたりはいつの時代に秘仏になったのかわかっていないと聞きます。
私が思うには、密教と関係あるのかもと。というのも、奈良時代には少なく、平安期になって、空海以来の密教の影響がかなりあるようにもうのです。何かを隠そうとするような「秘密の密」と思うのは、素人の浅はかな考えなんでしょうが。
”救世観音”の秘仏に関しては、私は結構新しい時代になったんではないかと思ってるのです。というのは、円空仏の作者・円空が、伊勢への旅の帰り道で法隆寺に逗留してから作風が変わっているので、法隆寺でなんらかの影響を受けた、その円空のその後の作風の中で、あの救世観音の衣にギザギザに似たものを彫るようになっていることから、ひょっとしたら円空は救世観音に接しているのではないかと想像しています。
右図は円空咲くの馬頭観音の模刻(筆者作)です。あまりいい例ではないかと思いますが。。
秘仏とする理由はいろいろあるようです。ネット上でいろいろな情報を読みあさってまとめると
1 俗世間との隔離
2 神道からの影響
3 誤解を招かないため
4 保存 盗難防止のため
5 それぞれの持ち主の意思
6 などなど
これに加えて、近年では「格式を高めるため」なんてのがあるように思えてならないのです。というのも、ご開帳という儀式を設けることで、日頃秘めているものをお披露目するので、ありがたいものと思ってもらいたいという下心があるのではないかと、これまた浅はかな思い込みなんでしょうが。
一般的に、浄土系の宗派の寺院にはあまり秘仏と言われるものは少ないのですが、それでも浄土真宗の本山などでは宗祖・親鸞の彫像を秘仏としているところもあったと思います。
それにしても、「なぜ?」というのが付き纏います。
秘仏の中に「絶対秘仏」と言われるものが存在します。長野・善光寺の本尊がそれにあたるのだそうですが、これは善光寺の僧も見ることができない秘仏と聞いています。なんのために、自寺の僧にも見せないのだろう?
この善光寺の本尊は、昔の国宝選定の法律のもとでは「国宝」の指定を受けていたと聞きます。へぇ??絶対秘仏の仏像を、どうやって検証したのだろうと思うのです。国宝指定するには、それなりにその物体を見なければならないと思うのですが、見なくても国宝に指定したのでしょうか?まさか、お前立ちの出来具合から類推して指定したなんてことはないでしょうが。。
実は、この記事を書くために、善光寺の公式ページを参照したのですが、面白いというか、気になる記述がありました。
””七年に一度、絶対秘仏である御本尊様のお身代わりとして、まったく同じお姿の『前立本尊』様を本堂にお遷しして全国の人々にお参りいただく盛儀です。””
ん?? ”絶対秘仏”ですよね? 住職も見ることができないと言われている秘仏ですよね?で、お前立ちは、その絶対秘仏と同じ姿を彫るとなると、仏師は何を見て彫ったのだろう?同じ姿ならば、絶対秘仏といわれる本尊を見ながら彫るか、最低でもスケッチなどしておかねば、いやいやスケッチしなくとも絶対秘仏を目に焼き付けるなどしなければ、彫ることができないでしょう。つまりは、仏師は必ずや絶対秘仏を見ていると思うのです。
こういう、揚げ足をよることを言ったり、書いたりするからいかんのかな?
いずれにしても、”秘仏”というものの成立理由にはいろいろあるとは思うけれど、本当にその理由、いわれがはっきりしているものは少ないのではないかと思っています。
”秘仏” 人が見ることができないから、隠されているから”秘仏”なのであって、何年かに一度であっても、こご開帳されて、人に見られてしまったのであれば、それももう秘仏と言うにはおこがましいのではないでしょうか。
仏の前に、人は全て平等。浄土教の教えに染まっている私ならこその発想でしょうか?私は思います。素晴らしい仏像は、できるだけ多くの人に見てもらい、その素晴らしさを知ってもらい、造像の発願者=施主や仏師に感謝の意を表してもらうもいいのではないだろうかと思っています。
この”秘仏”とはどんな意味を持ち、どんないわれがあるのだろうと、かなり以前から思っています。昔から寺巡りの多い私は、特に国宝などの仏像を拝観するのに出かけているのですが、”秘仏”と称してなかなか見ることができないものもあります。
これは一例だけれども、かの法隆寺夢殿の救世観音は、絶対秘仏として長い歴史を持っていたようだったのを、岡倉天心やらフェノロサの働きで日の目を見たのですが、とにかく長い間布に包まれ、逗子に納められていた事で、制作当時に近い金箔の輝きを失ってなかったようです。
これは秘仏であったということの副作用に過ぎないと思います。しかし、仏像は信仰の対象であり、人が何かを祈念する際の対象のはずで、布に包み逗子に納めていて記念する際にその対象物としての意味があったのだろうかと私は訝しんでいます。
まぁ秘仏を逗子に納めてしまっているので祈りの対象にできないから代替えとして”お前立ち”を設けているところが多いと思います。(ネット情報には、その”お前立ち”すら秘仏になっているというところもあるようです。)
多くの寺を見て回って、と言っても信仰の対象としてではなく、あくまでも古美術、美樹品として拝観してきて思ったことは、その寺の建立の時代にもよりけりかということです。印象としては、奈良時代の多くの古い寺院ではそれほど”秘仏”は存在していないような気もしています。法隆寺・夢殿の”救世観音”あたりはいつの時代に秘仏になったのかわかっていないと聞きます。
私が思うには、密教と関係あるのかもと。というのも、奈良時代には少なく、平安期になって、空海以来の密教の影響がかなりあるようにもうのです。何かを隠そうとするような「秘密の密」と思うのは、素人の浅はかな考えなんでしょうが。
”救世観音”の秘仏に関しては、私は結構新しい時代になったんではないかと思ってるのです。というのは、円空仏の作者・円空が、伊勢への旅の帰り道で法隆寺に逗留してから作風が変わっているので、法隆寺でなんらかの影響を受けた、その円空のその後の作風の中で、あの救世観音の衣にギザギザに似たものを彫るようになっていることから、ひょっとしたら円空は救世観音に接しているのではないかと想像しています。
右図は円空咲くの馬頭観音の模刻(筆者作)です。あまりいい例ではないかと思いますが。。
秘仏とする理由はいろいろあるようです。ネット上でいろいろな情報を読みあさってまとめると
1 俗世間との隔離
2 神道からの影響
3 誤解を招かないため
4 保存 盗難防止のため
5 それぞれの持ち主の意思
6 などなど
これに加えて、近年では「格式を高めるため」なんてのがあるように思えてならないのです。というのも、ご開帳という儀式を設けることで、日頃秘めているものをお披露目するので、ありがたいものと思ってもらいたいという下心があるのではないかと、これまた浅はかな思い込みなんでしょうが。
一般的に、浄土系の宗派の寺院にはあまり秘仏と言われるものは少ないのですが、それでも浄土真宗の本山などでは宗祖・親鸞の彫像を秘仏としているところもあったと思います。
それにしても、「なぜ?」というのが付き纏います。
秘仏の中に「絶対秘仏」と言われるものが存在します。長野・善光寺の本尊がそれにあたるのだそうですが、これは善光寺の僧も見ることができない秘仏と聞いています。なんのために、自寺の僧にも見せないのだろう?
この善光寺の本尊は、昔の国宝選定の法律のもとでは「国宝」の指定を受けていたと聞きます。へぇ??絶対秘仏の仏像を、どうやって検証したのだろうと思うのです。国宝指定するには、それなりにその物体を見なければならないと思うのですが、見なくても国宝に指定したのでしょうか?まさか、お前立ちの出来具合から類推して指定したなんてことはないでしょうが。。
実は、この記事を書くために、善光寺の公式ページを参照したのですが、面白いというか、気になる記述がありました。
””七年に一度、絶対秘仏である御本尊様のお身代わりとして、まったく同じお姿の『前立本尊』様を本堂にお遷しして全国の人々にお参りいただく盛儀です。””
ん?? ”絶対秘仏”ですよね? 住職も見ることができないと言われている秘仏ですよね?で、お前立ちは、その絶対秘仏と同じ姿を彫るとなると、仏師は何を見て彫ったのだろう?同じ姿ならば、絶対秘仏といわれる本尊を見ながら彫るか、最低でもスケッチなどしておかねば、いやいやスケッチしなくとも絶対秘仏を目に焼き付けるなどしなければ、彫ることができないでしょう。つまりは、仏師は必ずや絶対秘仏を見ていると思うのです。
こういう、揚げ足をよることを言ったり、書いたりするからいかんのかな?
いずれにしても、”秘仏”というものの成立理由にはいろいろあるとは思うけれど、本当にその理由、いわれがはっきりしているものは少ないのではないかと思っています。
”秘仏” 人が見ることができないから、隠されているから”秘仏”なのであって、何年かに一度であっても、こご開帳されて、人に見られてしまったのであれば、それももう秘仏と言うにはおこがましいのではないでしょうか。
仏の前に、人は全て平等。浄土教の教えに染まっている私ならこその発想でしょうか?私は思います。素晴らしい仏像は、できるだけ多くの人に見てもらい、その素晴らしさを知ってもらい、造像の発願者=施主や仏師に感謝の意を表してもらうもいいのではないだろうかと思っています。