2009年04月22日
名古屋を歩く・中川運河3 (運河神社)
先日思い立った中川運河の端から端まで(橋から橋までという話も)の写真を撮ること。実践してみようと、運河の西を歩いて、運河橋、猿子橋を通り越して、小栗橋までの間に、神社があるので、そこを紹介。
この神社は、通称を『運河神社』といっているけど、石碑には『西宮神社』と『金比羅社』の2本が立っている。、写真の石柱によると中川運河を掘るときの安全祈願の神社らしい。
(昨年だったか、新聞になにかのことで『西宮神社』として紹介されたらしい。)
50年くらい昔は、この神社の夏祭りとして華やかなものがあった。当時としては有名だった花火大会があって、この神社の前の道路は歩行者天国で(もっとも、当時の交通量なんて知れたものだったけど)、すごい人出だった。
鳥居の左にもう一本石柱があって、これを見てちょっとびっくり、知らなかっただけに。石柱には、「名古屋築城石切場」と彫られている。
堀川なら、名古屋城築城の際に建築材料、材木、石垣の石などを運ぶために掘ったものだからわかりもするけど、堀川からかなり西の位置にあるので、正直『へぇ~~』である。
今は、かなり寂れたものになっているのが残念。車でおとおりになったときには、・・といっても駐車場ないし。駐禁地域だし。。。少しの間目をつぶってもらいますか?
下に、狛犬の写真を。
狛犬を撮って、反対をむいて鳥居を見て、懐かしい方のお名前を発見。中から見て右側に、この神社の横にある「かいせい病院」の院長の御祖父様のお名前があったのだ。子供のころ、病気がちの私はよく診察してもらったことがある。 反対の左は近くにある『大矢鋳造』創始者ではないかと思われる名前も。
この神社は、通称を『運河神社』といっているけど、石碑には『西宮神社』と『金比羅社』の2本が立っている。、写真の石柱によると中川運河を掘るときの安全祈願の神社らしい。
(昨年だったか、新聞になにかのことで『西宮神社』として紹介されたらしい。)
50年くらい昔は、この神社の夏祭りとして華やかなものがあった。当時としては有名だった花火大会があって、この神社の前の道路は歩行者天国で(もっとも、当時の交通量なんて知れたものだったけど)、すごい人出だった。
**花火は、小栗橋の東側で打ち上げた。**
鳥居の左にもう一本石柱があって、これを見てちょっとびっくり、知らなかっただけに。石柱には、「名古屋築城石切場」と彫られている。
堀川なら、名古屋城築城の際に建築材料、材木、石垣の石などを運ぶために掘ったものだからわかりもするけど、堀川からかなり西の位置にあるので、正直『へぇ~~』である。
今は、かなり寂れたものになっているのが残念。車でおとおりになったときには、・・といっても駐車場ないし。駐禁地域だし。。。少しの間目をつぶってもらいますか?
下に、狛犬の写真を。
狛犬を撮って、反対をむいて鳥居を見て、懐かしい方のお名前を発見。中から見て右側に、この神社の横にある「かいせい病院」の院長の御祖父様のお名前があったのだ。子供のころ、病気がちの私はよく診察してもらったことがある。 反対の左は近くにある『大矢鋳造』創始者ではないかと思われる名前も。