2010年11月05日
10年秋の平泉への旅 21 平泉・中尊寺その6
雨の心配はあるが、傘は必要なさそう。
月見坂の奥にある金色堂覆堂の前に行く。これまで写真やテレビの番組で見てきた金色堂の覆堂が目の前にある。写真を見て描いていたのは、覆堂の前の階段が急で長いと思っていたのだが、そんな私の想像とは違って、ゆるやかで短いものだった。イメージはかなり登るのではないかと思っていたのだ。
団体客が多くなってきているので、この覆堂を人なしで撮影するが結構難しく時間がかかってしまった。
よくあるありふれたポジションからの撮影。しかし、一般人としてはこういったところから取る以外にはないのだろうなぁ。もう少し高い位置から撮影するとかなり違ったイメージの覆い堂を取るkとができると思うのだけど。
写真の位置は、柵がもうけられている。その作の右側に入口がある。入場券をもぎってもらって中に入る。念願の金色堂への階段を上がって行く。そして上がりきったところで、ん??個々の入口からは入れないことが分かった。ここは覆堂の出口、入り口は覆堂の反対側にある。
と、その反対側に歩いて行くところで、団体客が来たらしく、ちらほらその客たちが混じってくる。ん??聞こえてくる言葉、漢字だよ。どうもチャイニーズの団体のようだ。
さて、念願の金色堂のある覆堂の中に足を踏み入れた。
キンキラキンだぁ。。。 ん??しかし、色が重い。そうかぁ。写真は撮影用のライト当ててるものなぁ。今はそのライトがない。だから重い。
しかし、仏様、阿弥陀様が遠い。それに小さい。大体が、金色堂自体が思っていたよりもうんと小さいのだ。そして、あぁ自分の不勉強をのろわねば。須弥壇が3つもある。なんだ??確かに写真でもこれだけを見ていたが、まさか須弥壇が3つとは。一つの須弥壇に阿弥陀さんが一体で、その周辺は脇侍仏が・・・というイメージを描いていたのだ。不勉強もいいところではじである。
この金色堂が、あのマルコポーロの『東方見聞録』に出てくる『黄金の家』なのだろう。確かし、これだけの話を聞けば、家全体が金ででdきていると誤解してもいたしかたないが、それにしてはちいさすぎるかなぁ。
頭の中に、金閣寺のあのでかさがあるから比較の上で小さいと思うのだろうか?
須弥壇が3つということで、ここには阿弥陀如来が三体あるのだ。なんでもこの金色堂には、藤原四代の遺体が安置されていると聞くが、遺体が一つ多いなぁ。なんて思ったりもする。
同じ堂内に阿弥陀如来が複数あるのは、どのくらいの事例があるのだろう。多分一番阿弥陀如来の数が多いのは、京都府の浄瑠璃寺(別名・九体寺)の別名の通りくらいではないかと思うが、こうした3つの須弥壇にあるのは、ほかにあるのだろうか?(勉強しなくては)
ガラスケース越しの阿弥陀仏をじっくりと見たいという気持ちで、たくさんの参拝客の前に出て、膝をつくようにして拝顔する。3つの須弥壇すべてを奏したかったのだが、どうしても右・須弥壇だけは他の人の前に出ることができずに断念。
実は、この金色堂の前には例のチャイニーズの団体がいっぱいいたのだ。マナーが悪くて困ったよ。
さて、金色堂の感想。
正直って幻滅したに近い。というのは、写真では非常にきれいな仕上がりに見えるのだが、どうも過去には崩壊寸前までボロボロになったことがあり、それを修復したうえに金箔をかけたようなのだ。その修復が当初の完成時のきれいな仕上がりとは違って、崩壊寸前を戻したものの戻しきれないままに金箔をはったのではないかと思えるのだ。だから表面がもうでこぼこで。。。。。
仏像に関しては、あまりにも遠く、ガラス越しで詳細を見ることができない。それに思ったよりもうんと小さいので、これも驚きだった。
これまでこうした念願の仏像を見たときのほとんどが、何らかの感動を伴うものなのだが、金色堂では感動を伴うことがなかった。しかし、何としてでも見たいという願望をかなえることができたというある種の達成感だけは持つことができた。
さて、金色堂にいつまでもいるわけにはいかない。チャイニーズの団体が出たあと少しいたが、次の団体も入ってきているので、出口から外に出た。
月見坂の奥にある金色堂覆堂の前に行く。これまで写真やテレビの番組で見てきた金色堂の覆堂が目の前にある。写真を見て描いていたのは、覆堂の前の階段が急で長いと思っていたのだが、そんな私の想像とは違って、ゆるやかで短いものだった。イメージはかなり登るのではないかと思っていたのだ。
団体客が多くなってきているので、この覆堂を人なしで撮影するが結構難しく時間がかかってしまった。
よくあるありふれたポジションからの撮影。しかし、一般人としてはこういったところから取る以外にはないのだろうなぁ。もう少し高い位置から撮影するとかなり違ったイメージの覆い堂を取るkとができると思うのだけど。
写真の位置は、柵がもうけられている。その作の右側に入口がある。入場券をもぎってもらって中に入る。念願の金色堂への階段を上がって行く。そして上がりきったところで、ん??個々の入口からは入れないことが分かった。ここは覆堂の出口、入り口は覆堂の反対側にある。
と、その反対側に歩いて行くところで、団体客が来たらしく、ちらほらその客たちが混じってくる。ん??聞こえてくる言葉、漢字だよ。どうもチャイニーズの団体のようだ。
さて、念願の金色堂のある覆堂の中に足を踏み入れた。
キンキラキンだぁ。。。 ん??しかし、色が重い。そうかぁ。写真は撮影用のライト当ててるものなぁ。今はそのライトがない。だから重い。
しかし、仏様、阿弥陀様が遠い。それに小さい。大体が、金色堂自体が思っていたよりもうんと小さいのだ。そして、あぁ自分の不勉強をのろわねば。須弥壇が3つもある。なんだ??確かに写真でもこれだけを見ていたが、まさか須弥壇が3つとは。一つの須弥壇に阿弥陀さんが一体で、その周辺は脇侍仏が・・・というイメージを描いていたのだ。不勉強もいいところではじである。
この金色堂が、あのマルコポーロの『東方見聞録』に出てくる『黄金の家』なのだろう。確かし、これだけの話を聞けば、家全体が金ででdきていると誤解してもいたしかたないが、それにしてはちいさすぎるかなぁ。
頭の中に、金閣寺のあのでかさがあるから比較の上で小さいと思うのだろうか?
須弥壇が3つということで、ここには阿弥陀如来が三体あるのだ。なんでもこの金色堂には、藤原四代の遺体が安置されていると聞くが、遺体が一つ多いなぁ。なんて思ったりもする。
同じ堂内に阿弥陀如来が複数あるのは、どのくらいの事例があるのだろう。多分一番阿弥陀如来の数が多いのは、京都府の浄瑠璃寺(別名・九体寺)の別名の通りくらいではないかと思うが、こうした3つの須弥壇にあるのは、ほかにあるのだろうか?(勉強しなくては)
ガラスケース越しの阿弥陀仏をじっくりと見たいという気持ちで、たくさんの参拝客の前に出て、膝をつくようにして拝顔する。3つの須弥壇すべてを奏したかったのだが、どうしても右・須弥壇だけは他の人の前に出ることができずに断念。
実は、この金色堂の前には例のチャイニーズの団体がいっぱいいたのだ。マナーが悪くて困ったよ。
さて、金色堂の感想。
正直って幻滅したに近い。というのは、写真では非常にきれいな仕上がりに見えるのだが、どうも過去には崩壊寸前までボロボロになったことがあり、それを修復したうえに金箔をかけたようなのだ。その修復が当初の完成時のきれいな仕上がりとは違って、崩壊寸前を戻したものの戻しきれないままに金箔をはったのではないかと思えるのだ。だから表面がもうでこぼこで。。。。。
仏像に関しては、あまりにも遠く、ガラス越しで詳細を見ることができない。それに思ったよりもうんと小さいので、これも驚きだった。
これまでこうした念願の仏像を見たときのほとんどが、何らかの感動を伴うものなのだが、金色堂では感動を伴うことがなかった。しかし、何としてでも見たいという願望をかなえることができたというある種の達成感だけは持つことができた。
さて、金色堂にいつまでもいるわけにはいかない。チャイニーズの団体が出たあと少しいたが、次の団体も入ってきているので、出口から外に出た。