2010年11月05日
10年秋の平泉への旅 23 平泉・中尊寺その8
坂を下りながら釈迦堂を左に折れると正面に赤い鳥居が目に入る。なんでお寺に赤い鳥居がと思うのは毎度のこと。昔は仏様も神様の一部で、ゴチャマゼにしてもう出ていたことが原因。明治になって紙差を分離したけど、し切れずに結構たくさん残っている。ここもそんな構図だろうと。
ただ、赤い鳥居の神社の名前は『白山地じゃ』というのだが、、鳥居の前に白い木の柱に「野外能楽殿」とでっかく書かれている。神社の『白山神社』よりも能楽殿の方が中尊寺としてはお勧めしたいということなのだろう。
ここで子供連れの親子3代のグループが。かわいい女の子で、ご先祖さんの思いとは違って周りの建物や遺跡には全く興味を示さず、砂いじりをしたりして。。。。
鳥居をくぐりそのまま直進すると板壁の建物に突き当たる、これが能楽殿らしい。古いには古いが、平安、鎌倉の時代に建てられたものではないだろう。由緒書にもあまり興味がないのでほとんどスルー。
この能楽殿では、昔々薪能でもしたのかと、思うくらいだ。
能楽殿を左に迂回しすると拝殿の前に出る。能楽殿が何の仕切りも持たない建物なので見渡すこともできるが、高床なので全体を見ることができなかった。
拝殿の前には茅の輪がある。昔々、幼少のみぎり学区内の神社『塩釜神社』で「輪くぐり神事」というのを経験したことを思い出した。確か、和をくぐり無病息災を祈ったのではなかったか。その思い出をもう一度とばかりにその輪をくぐってみた。そして拝殿に向かってわが一家の安全と健康の願いを込めて祈る。
この拝殿の右に小さい祠が12もある。へぇ。珍しいと。よく見ると、12はそれぞれの干支の守り神という、羊さんの前で手を合わせて。(写真)
実は、今になって悔やんでいるのだが、この12の祠の背面に見晴らし台があったらしい。平泉の北を一望できたのかもしれないのだが、その見晴らし台があることすら築かなかったことを恥じるだけだが、ただ行ったとして霧で遮られている可能性が大きいことは確か。(いいわけ、負け惜しみ)
さて、ここからは帰路になる。一番奥まで這いこんだのだから。でも、金色堂が目的なら、ここもすでに帰路になるのかな?
鳥居をくぐって左が弁財天堂。通称・弁天さん。恋人同士、夫婦などのカップルで来るとやきもちを焼かれると聞いてはいるが、私は毎度一人なのでその心配はない。
お顔を拝見するのに近くに寄ってみた。ん??今まで見た弁天さんと比べると、おやまぁふっくらとされている。私個人の弁天さんのイメージは妖艶なものなのだが、こちらの弁天さんは「肝っ玉かぁさん」というイメージ。抱かれればさぞかし安心して眠ることができるかも。(まだあちらの世界では眠りたくはありません。念のために)
お隣の阿弥陀堂は往路でもう写真を撮らせてもらったところ。その前を通り月見坂を少し上って行く。来る時になぜ気付かなかったのか分からないが、月見坂の帰る方向の左の高いところに鐘楼がある。しかし、鐘楼というよりもなんとなく牢屋といったイメージの格子である。
由緒書によると800年近く前に作られたもので、長年の打鐘で破損し今は撞かれることはないとのこと。
(そうかぁ。誰も付けないように梵鐘を守るために逆の牢屋にしてあるのかぁ…・書きながら気づくとは、頭の回転がものすごく鈍っている、歳は取りたくないと思う。)
ここからだんだん下り坂になって行ったと思うが、最初はかなり緩やかで、平たんと思うかも。
この先の本堂までの間は前にも書いたと思うが、もう2週間くらい先なら紅葉のトンネルになるだろうと思われる参道だ。まx座、真夏でもこの緑のトンネルはさぞかし涼しい思をさせてもらるところではないだろうか。月見坂をえっちらおっちら汗をかきながら登ってきて、ここで平たんになり涼しさを満喫できるかもしれない。
本堂の前を通過して帰路を急ぐわけではないが、もう次のことが少しずつ頭の中に。
本堂を過ぎると、行く時は扉のしまっていた観音堂に立ち寄り写真を撮らせてもらう。
観音様の立像は、後背はきれいなのに、御本体はかなり金箔が剥がれて無残である。ここでわかったことは、どこのお堂も厨子に入っているのかな?だから御本体が小さいのかと思った。
しかし、なぜ御本体が無残なのだろう?火事にでも会われたのか?
薬師堂をやり過ごし地蔵堂をのぞく。
あらぁ・・・珍しいです。お地蔵さんといえば、衣が乱れることもなく、杖をまっすぐにたててお立ちのお姿がほとんど。ここのお地蔵さまはなぜか着流しといった印象だ。域ではなるが、かなりイメージが違って、親善ともとれるが違和感を覚える人もいるかなぁ?(写真311
この先だんだん下り坂がきつくなるところ。お年を召した方が恐る恐る、障害者の方の車いすはここはちょっとこんなんだろうに。。。
この坂を一気に下りようと下って行ったが、ふと左を見ると遠景が見える。上る時は霧で何も見えなかったから気付かなかったのだろう。一旦下りかけて、あわてて元に戻った、まるで阿弥陀さんに導かれたかのように。
何の知識もなく来た私。ここが見晴らし台、これを『東物見』というらしい。月見坂を下る左側。つまりは崖の方にある。高所恐怖症の私には本来苦手なところだが、この辺りを一望できるのだろうばかりに月見坂を外れて降りてきた。
ほう・・なんやらダム見たいものがあって(地図を見ているけどそんなもの見当たらない)川があって(この川が北上川だそうです)
そして、右の方向=東にはキリにうっすらとして姿を見せている山がある。これはあとで教えられたのだが、『束稲山』といい平泉の寺の配置を考えるときに必要は山と。春分、秋分の日は真東から太陽がでるとも、(記憶違いでなければ)。ひょっとしたら、作治のあの満月はここから上っていた?? 結構いい雰囲気の写真で、阿弥陀さんの導きかなぁ??
ただ、赤い鳥居の神社の名前は『白山地じゃ』というのだが、、鳥居の前に白い木の柱に「野外能楽殿」とでっかく書かれている。神社の『白山神社』よりも能楽殿の方が中尊寺としてはお勧めしたいということなのだろう。
ここで子供連れの親子3代のグループが。かわいい女の子で、ご先祖さんの思いとは違って周りの建物や遺跡には全く興味を示さず、砂いじりをしたりして。。。。
鳥居をくぐりそのまま直進すると板壁の建物に突き当たる、これが能楽殿らしい。古いには古いが、平安、鎌倉の時代に建てられたものではないだろう。由緒書にもあまり興味がないのでほとんどスルー。
この能楽殿では、昔々薪能でもしたのかと、思うくらいだ。
能楽殿を左に迂回しすると拝殿の前に出る。能楽殿が何の仕切りも持たない建物なので見渡すこともできるが、高床なので全体を見ることができなかった。
拝殿の前には茅の輪がある。昔々、幼少のみぎり学区内の神社『塩釜神社』で「輪くぐり神事」というのを経験したことを思い出した。確か、和をくぐり無病息災を祈ったのではなかったか。その思い出をもう一度とばかりにその輪をくぐってみた。そして拝殿に向かってわが一家の安全と健康の願いを込めて祈る。
この拝殿の右に小さい祠が12もある。へぇ。珍しいと。よく見ると、12はそれぞれの干支の守り神という、羊さんの前で手を合わせて。(写真)
実は、今になって悔やんでいるのだが、この12の祠の背面に見晴らし台があったらしい。平泉の北を一望できたのかもしれないのだが、その見晴らし台があることすら築かなかったことを恥じるだけだが、ただ行ったとして霧で遮られている可能性が大きいことは確か。(いいわけ、負け惜しみ)
さて、ここからは帰路になる。一番奥まで這いこんだのだから。でも、金色堂が目的なら、ここもすでに帰路になるのかな?
鳥居をくぐって左が弁財天堂。通称・弁天さん。恋人同士、夫婦などのカップルで来るとやきもちを焼かれると聞いてはいるが、私は毎度一人なのでその心配はない。
お顔を拝見するのに近くに寄ってみた。ん??今まで見た弁天さんと比べると、おやまぁふっくらとされている。私個人の弁天さんのイメージは妖艶なものなのだが、こちらの弁天さんは「肝っ玉かぁさん」というイメージ。抱かれればさぞかし安心して眠ることができるかも。(まだあちらの世界では眠りたくはありません。念のために)
お隣の阿弥陀堂は往路でもう写真を撮らせてもらったところ。その前を通り月見坂を少し上って行く。来る時になぜ気付かなかったのか分からないが、月見坂の帰る方向の左の高いところに鐘楼がある。しかし、鐘楼というよりもなんとなく牢屋といったイメージの格子である。
由緒書によると800年近く前に作られたもので、長年の打鐘で破損し今は撞かれることはないとのこと。
(そうかぁ。誰も付けないように梵鐘を守るために逆の牢屋にしてあるのかぁ…・書きながら気づくとは、頭の回転がものすごく鈍っている、歳は取りたくないと思う。)
ここからだんだん下り坂になって行ったと思うが、最初はかなり緩やかで、平たんと思うかも。
この先の本堂までの間は前にも書いたと思うが、もう2週間くらい先なら紅葉のトンネルになるだろうと思われる参道だ。まx座、真夏でもこの緑のトンネルはさぞかし涼しい思をさせてもらるところではないだろうか。月見坂をえっちらおっちら汗をかきながら登ってきて、ここで平たんになり涼しさを満喫できるかもしれない。
本堂の前を通過して帰路を急ぐわけではないが、もう次のことが少しずつ頭の中に。
本堂を過ぎると、行く時は扉のしまっていた観音堂に立ち寄り写真を撮らせてもらう。
観音様の立像は、後背はきれいなのに、御本体はかなり金箔が剥がれて無残である。ここでわかったことは、どこのお堂も厨子に入っているのかな?だから御本体が小さいのかと思った。
しかし、なぜ御本体が無残なのだろう?火事にでも会われたのか?
薬師堂をやり過ごし地蔵堂をのぞく。
あらぁ・・・珍しいです。お地蔵さんといえば、衣が乱れることもなく、杖をまっすぐにたててお立ちのお姿がほとんど。ここのお地蔵さまはなぜか着流しといった印象だ。域ではなるが、かなりイメージが違って、親善ともとれるが違和感を覚える人もいるかなぁ?(写真311
この先だんだん下り坂がきつくなるところ。お年を召した方が恐る恐る、障害者の方の車いすはここはちょっとこんなんだろうに。。。
この坂を一気に下りようと下って行ったが、ふと左を見ると遠景が見える。上る時は霧で何も見えなかったから気付かなかったのだろう。一旦下りかけて、あわてて元に戻った、まるで阿弥陀さんに導かれたかのように。
何の知識もなく来た私。ここが見晴らし台、これを『東物見』というらしい。月見坂を下る左側。つまりは崖の方にある。高所恐怖症の私には本来苦手なところだが、この辺りを一望できるのだろうばかりに月見坂を外れて降りてきた。
ほう・・なんやらダム見たいものがあって(地図を見ているけどそんなもの見当たらない)川があって(この川が北上川だそうです)
そして、右の方向=東にはキリにうっすらとして姿を見せている山がある。これはあとで教えられたのだが、『束稲山』といい平泉の寺の配置を考えるときに必要は山と。春分、秋分の日は真東から太陽がでるとも、(記憶違いでなければ)。ひょっとしたら、作治のあの満月はここから上っていた?? 結構いい雰囲気の写真で、阿弥陀さんの導きかなぁ??