2011年12月09日
蟹満寺に 2011年京都・宿泊旅行 その3
浄瑠璃寺を出たのがほぼ12時。食事もしたのでお腹がいっぱい。この先あ京都まで走ると眠気をもよおしそうだけど・・・
浄瑠璃時から元来た道を引き返して浄瑠璃寺口まで来て、今度は左折して奈良の方に向かいます。この辺りは木津町だったのが市になって木津市というところ。なんかすごい違和感がありますね。慣れた地名がどんどんなくなってしまって。
道なりに走って行って、奈良に向かう道と分岐するところに来た。いつもは奈良に向かうので左折するのだけど、左折すると運動公園などがあり、その先には東大寺の裏手の奈良坂に向かいます。今回は直進しました。実は直進は初めて。どこに出るのやらわかっていないけど、そこはカンピュータが・・・
それなりに走っていたら、奈良坂から下りてくる道と合流した。そしてその先には国道24号線が待っていた。
24号線を走るのはもう15年ぶりになろうかと思う。昔は営業担当がならだったこともあり、ちょくちょく走ってましたし、子供が大学のころは奈良と京都を結んで走ったことも。
そんな久々の24号は、木津市となった街並みを走るのだけど、やはり市になると雰囲気が変わってるんですね。ちょっと自分のいるところを間違えたりした。それでも、木津川を超えてやっと昔の24号のイメージを思い出した。
そこまではよかったけど、蟹満寺の位置がわからない。何せ46年前に観光バスに揺られて言ったので道は全く覚えていない。それにそのころは今の24号はなかったはず。娘に地図を見ながらのナビをさせたら、右折するところを間違えられたぁ・・・・・一番最初はすぐに左折するところがあるとばかりに入ったら無い無い無い。いたしかたないのでかなりってからUターン。
次に右折したら、今度はものすごく細い道で道なりに走っているつもりだったが、なんと24号に戻ってしまったのだ。なんで????田舎道はこんなものです。
その次はちょっと広い道があってそれに入りこんだけど、かなり行き過ぎて雰囲気が違うと私の勘が。それで道を左に取ったら、これまた24号に戻ってしまったのだ。
しょうがないからそのまま半分諦めて24号を走っていたら『蟹満寺』のでっかい看板を見つけてブレーキをかけた。車の半分を対向車線に出して止めたのに。後ろの車はようすり抜けん。へたくそぉ。これでは私が悪をしたみたいではないかぁ。
Uターンに近い鋭角の折り返しで川に沿って走っていく田舎道。途中『蟹満寺駐車場』と書いた看板があったけど、どうも観光バスが止まるところらしい。(ここで止めたらかなり歩くことになるよ)
それを無視してどんどん先に進む。だんだん細くなり気持ちも細くなる。何とかお寺の屋根を見つけてそっちに向かって下りていく。
ん???ものすごく新しいお寺があるではないかぁ。うっそぉ。。。。昔来た時はこんなところではなかったぞ。もっと平たいところだったという記憶。違うのかなぁ。。
川の土手から下りて左手に神社があってその隣に駐車場と書かれたところがあった。そこに車を入れた。
そして、ものすごくきれいな建物の方に。。。。これは本堂の右手らしい。中に入ったら南側に何か新しいものを増築中。ひょっとしたら山門みたいなものかも。
正面を通り越して『受付』と書かれたところに。呼び鈴を押しても誰も出てこないよ。もう一人参拝者がいたのだけど、この人も呼び鈴を押していはいたけど、出てこないよって。。。声をかけて見たけどそれでも出てこない。体感的に5分以上誰も出てこず、あきらめかけたら多分住職だろうともう人が出てきて、ブッチョウ面で応対して、拝観料500円を申し受けられたぞ。そして、本堂は正面の階段を上がって左手の引き戸から入れとの指示。それで終わりで本堂の案内はなし。
本堂に入ったら、もう一人の参拝者が何やら入口伊t格にあるテーブルのボタンを押した。なんとテープレコーダーから説明が流れ出したのだ。完全に住職の手抜きである。
正面に真っ黒な仏様がおいでになる。46年前の記憶はそのままだった。ちょっと違うのはもっと大きかったような。。。思いのほか小さかった。しばらく説明を聞いたり他を見たりしたけど、記憶には残ってない。どうも私の印象はいいものが残らなかった。
本堂の左手にあった額です。
蟹が蛇をやっつけているこの寺の縁起です。
(この寺は、山村美砂の「鳥獣の寺殺人事件」にも出てきます。
ただし、周りの環境がかなり違っているはずです。)
本堂の裏手にある水子供養のつかですが、
こんなことをしなければいけない寺とは
国宝の仏さんを持ちながら悲しい限りだ
駐車場の隣にある陣はです。
紅葉がほんのちょっと見えてますが
浄瑠璃時から元来た道を引き返して浄瑠璃寺口まで来て、今度は左折して奈良の方に向かいます。この辺りは木津町だったのが市になって木津市というところ。なんかすごい違和感がありますね。慣れた地名がどんどんなくなってしまって。
道なりに走って行って、奈良に向かう道と分岐するところに来た。いつもは奈良に向かうので左折するのだけど、左折すると運動公園などがあり、その先には東大寺の裏手の奈良坂に向かいます。今回は直進しました。実は直進は初めて。どこに出るのやらわかっていないけど、そこはカンピュータが・・・
それなりに走っていたら、奈良坂から下りてくる道と合流した。そしてその先には国道24号線が待っていた。
24号線を走るのはもう15年ぶりになろうかと思う。昔は営業担当がならだったこともあり、ちょくちょく走ってましたし、子供が大学のころは奈良と京都を結んで走ったことも。
そんな久々の24号は、木津市となった街並みを走るのだけど、やはり市になると雰囲気が変わってるんですね。ちょっと自分のいるところを間違えたりした。それでも、木津川を超えてやっと昔の24号のイメージを思い出した。
そこまではよかったけど、蟹満寺の位置がわからない。何せ46年前に観光バスに揺られて言ったので道は全く覚えていない。それにそのころは今の24号はなかったはず。娘に地図を見ながらのナビをさせたら、右折するところを間違えられたぁ・・・・・一番最初はすぐに左折するところがあるとばかりに入ったら無い無い無い。いたしかたないのでかなりってからUターン。
次に右折したら、今度はものすごく細い道で道なりに走っているつもりだったが、なんと24号に戻ってしまったのだ。なんで????田舎道はこんなものです。
その次はちょっと広い道があってそれに入りこんだけど、かなり行き過ぎて雰囲気が違うと私の勘が。それで道を左に取ったら、これまた24号に戻ってしまったのだ。
しょうがないからそのまま半分諦めて24号を走っていたら『蟹満寺』のでっかい看板を見つけてブレーキをかけた。車の半分を対向車線に出して止めたのに。後ろの車はようすり抜けん。へたくそぉ。これでは私が悪をしたみたいではないかぁ。
Uターンに近い鋭角の折り返しで川に沿って走っていく田舎道。途中『蟹満寺駐車場』と書いた看板があったけど、どうも観光バスが止まるところらしい。(ここで止めたらかなり歩くことになるよ)
それを無視してどんどん先に進む。だんだん細くなり気持ちも細くなる。何とかお寺の屋根を見つけてそっちに向かって下りていく。
ん???ものすごく新しいお寺があるではないかぁ。うっそぉ。。。。昔来た時はこんなところではなかったぞ。もっと平たいところだったという記憶。違うのかなぁ。。
川の土手から下りて左手に神社があってその隣に駐車場と書かれたところがあった。そこに車を入れた。
そして、ものすごくきれいな建物の方に。。。。これは本堂の右手らしい。中に入ったら南側に何か新しいものを増築中。ひょっとしたら山門みたいなものかも。
正面を通り越して『受付』と書かれたところに。呼び鈴を押しても誰も出てこないよ。もう一人参拝者がいたのだけど、この人も呼び鈴を押していはいたけど、出てこないよって。。。声をかけて見たけどそれでも出てこない。体感的に5分以上誰も出てこず、あきらめかけたら多分住職だろうともう人が出てきて、ブッチョウ面で応対して、拝観料500円を申し受けられたぞ。そして、本堂は正面の階段を上がって左手の引き戸から入れとの指示。それで終わりで本堂の案内はなし。
本堂に入ったら、もう一人の参拝者が何やら入口伊t格にあるテーブルのボタンを押した。なんとテープレコーダーから説明が流れ出したのだ。完全に住職の手抜きである。
正面に真っ黒な仏様がおいでになる。46年前の記憶はそのままだった。ちょっと違うのはもっと大きかったような。。。思いのほか小さかった。しばらく説明を聞いたり他を見たりしたけど、記憶には残ってない。どうも私の印象はいいものが残らなかった。
本堂の左手にあった額です。
蟹が蛇をやっつけているこの寺の縁起です。
(この寺は、山村美砂の「鳥獣の寺殺人事件」にも出てきます。
ただし、周りの環境がかなり違っているはずです。)
本堂の裏手にある水子供養のつかですが、
こんなことをしなければいけない寺とは
国宝の仏さんを持ちながら悲しい限りだ
駐車場の隣にある陣はです。
紅葉がほんのちょっと見えてますが