2012年01月29日

平清盛 第4回 殿上の闇討ち

 清盛(松山ケンイチ)は宮廷、鳥羽院(三上博史)の妃(壇れい)の警護に当たるようになったようだが、どうも疎んじられているのかいい扱いではなくって、それを怒って荒れる。
 (この後で、蓮華王院三十三間堂でのロケが出てきたけど、いやぁ生で使うとは。蓮華王院ができたのは、今このドラマの舞台の年代ころといわれているけど。。。その割にはきれいでないよぉ。。まぁ現代の姿で取ればこうなるわなぁ。。。。いたしかたないのかな?)

 寄与餅の父忠盛(中井貴一)が内裏の清涼殿に上がることを許可されたという知らせが舞い込んで、一門が喚起する。

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 もうどうにも場面の切り替えが多くて、かきながら見るのにはついていくのが大変で、かなりいい加減になりつつある。
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 忠盛が、藤原忠実(國村隼)に会見。それについて行った清盛だが、どうも落ち着きがないなぇ。(忠盛が舞を披露する。なんで、気に入らないような顔するんだろ?)
 忠盛が舞の最中に、公家たちから酒をかけられる。じっとこらえる忠盛。そそて、未熟な舞と謝罪する。この辱めを受けたことを清盛は気にいあらず、忠盛を罵る。

 忠盛は内裏に上がる。その方を清盛は源義朝(玉木宏)といるときに聞く。内裏では、忠盛をうとうとする武士が。それをいさめる忠盛だが、その武士の攻撃を逃れ話をするのだが。(これを裏から見ている清盛と義朝)  **なんで忠盛暗殺になったのか、見逃した。。。**

 忠盛は、襲われた時にはいた『王家の犬で終わりたくない』の言葉の意味を清盛にいう。『それは、お前を自分の子として育ていると決めたときから、・・・・」と。つまりは、つまりは、白河院の子としての清盛を何とか単なる武士で終わらせたくはないという、忠盛の心からの思いなのだろう。


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 番組最後のゆかりの地で、平等院が出てきた。このドラマの時代は、そろそろ末法思想が蔓延し、浄土信仰に公家たちが入っていく時代。しかし、まだまだ本格的に浄土信仰には至っていないのか?そんな瀬戸際のところだけど、ドラマの中でそうした面がどこまで描かれるのか?はたまた描かれないのか?
 忠盛と清盛がはなし下場所が何かも門のようだが、いったいこの門はなんなのだろう?まさか羅城門ということはないだろうなぁ?もしそうなら、黒澤明の羅生門を映した感じだけど。。。私は、都の入口にしては小さいと思っている。もっとでかくていいのだが、いったいこの門はどこなのだろう?


 

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この記事へのコメント
三十三間堂やなぁ

あっ 古っ

って思いました(笑)
Posted by うみ at 2012年01月30日 12:04
 

  
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