2012年11月11日

平清盛 第44回 そこからの眺め

 とうとう清盛(松山ケンイチ)が暴挙に。

 まぁ、その暴挙に至るにはそれなりの経過があるとドラマは書いているわけで、それの一つが娘の盛子が死んでその嫁ぎ先の摂関家の所領を藤原家が巻き上げ、息子の重盛(窪田正孝)が死の間際に法皇(松田翔太)おもちゃのごとくあしらわれたことにかなり腹を立てて、清盛は兵を引き連れて京にのぼり、法皇を鳥羽離宮に幽閉していしまう。
 これで、清盛が夢見た武士が国の権力の頂点に立ったことになり、周りから「おめでとうございます」の声をかけられる。
 まぁ、天皇家がここまで軽くあしらわれているとは、天皇を神とあがめた明治から昭和の戦前まで、それに今は象徴天皇としているが、こうした現代では何とも想像がつかない時代ではないだろうか?もっとも、飛鳥時代にも政変で蘇我入鹿あたりにこっぴどくやられていた天皇家だけど、それでも天皇家を絶やすことは日本人はしなかったんだよねぇ。。(このあたりは私は理解ができないでいる。と言って天皇家を配するという気持ちではないので誤解のないように)

 清盛は京で祇園女御(松田聖子)と出会ったが、そこで祇園女御に「上り詰めたところかrなお眺めはいかが?」と聞かれた。その祇園女御は「もう会うこともないでしょう」と立ち去った。
 人間だけではないが、上りつめてもうそれ以上上るところがないもは、もう下るよりしょうがないのだよな。それを清盛はまだ理解していない。

 次回以降どういったストーリーにするのかわからないが、あと6回。多分に清盛入滅が最後になるのかもしれないが、裏では源氏が関東で力を蓄えてきている。まぁ最初は源氏は戦を仕掛けて負けてはいるものの、清盛の死を境に源平の力が逆転することになる。
 これは、清盛の傲慢が彼の権力の安定をさせることが無理だったことを歴史は示しているのだろうと思う。

 ただ、ドラマの源氏側の人間の描き方がどうにも気に入らんのだなぁ。。。。 それと、最後までドラマのシーンはかすみをかけて終わらせるつもりらしい。今回の清盛と祇園女御の出会いのシーンも霞をかけて見づらいったらありゃしない。


タグ :平清盛

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