2012年12月23日

平清盛 最終回

 やっと最終回になった。それにしても大河ドラマは一番最初の「花の生涯」からず~~~~~~と見てきたけどこんなひどい内容のドラマはなじめてだよなぁ。(いや、昔ひとつだけある。三田佳子が医者をやった現代ものも、いただけなかったがそれでもこの「平清盛」よりはましだったかなぁ。)

 最後の最後。
 高熱でうなされている清盛(松山ケンイチ)のおでこに水をかけて、なんだぁ???”ジュ~~”て音を出して。。。それはないだろう。水が音を出すのは何度だ?人間の死に至る体温は42度くらいだぞよ。これでは音はせんのだよぉ。いくらなんでも馬鹿にしたつくりだろうに。

 そして、そのうなされている清盛の亡霊が伊勢にいる西行(藤木直人)の庵に表れて・・ この亡霊に西行が「もうじきそなたは死ぬ」って言ったりね。清盛が死んで西行が都に来て、『清盛から遺言を預かってきた』って。まぁこれも変だが許すとして、その内容を話す時に、西行の姿が消えて清盛になって。。 いい加減にしろよ。それをするならチイト表現が違うだろうが。

 それからの展開の速いこと。
 即、頼朝(岡田将生)が京を治めて、おかげで平家は都落ちして。そして壇ノ浦で、時子(深田恭子)が安徳帝を抱いて『海の底にも都は・・』で飛び込んで。これも許しても、すかきょんがいくらなんでも若すぎる。安徳亭は孫だけど、時子の子供たりの野郎どもとどっちが親かと思うほどの若さだろうが。バッカみたい。
 (バックの平家物語の語り『祇園精舎の鐘の声・・』の、これもうまくなかったよぉ。。。。)

 そして、義経(神木隆之介)が頼朝に追放されたとたんに、義経は「源氏の武将、わがもとに集まれ」だと?義経は、それはできなかっただろう。逃げて回るのだから。それに自刃のシーンもなぁ・・・・
 そして、最後の最後は、なんと室町時代の話まで出してきて、武士の世界ができた。それはみんな清盛が作ったといわんばかりで。もう見ていて、あきれ果ててしまった。
 弁慶が、頭を射抜かれてももがいていたなぁ。。。どこを射抜いたら、本当の立往生になったのだ?プロジューサーが、いろんなことしらなさすぎるように思えて。。。 知ってたらごめんね)

 さて、これで面白くない大河ドラマ・平清盛は終わったが、来年は女性ものでしかも合図の話で、またどんな筋になるのやら。もっとも、合図の白虎隊の話なんてあんまり知らないから、時代考証云々は言える立場ではないかもしれんが、とにかく願いは清盛のような北画面は勘弁してほしいものだ。
 
 という願いを最後に、大河ドラマ・平清盛の辛口、言いたい放題を終えることに。

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