2013年08月18日

八重の桜 第33回 尚之助との再会

 明治になって結構時間がたってるなぁ。。。もう鉄道も動き始めていて、八重(綾瀬はるか)はそれにんって東京に出たのだもんなぁ。。。。

 女紅場での勉強と寮の管理官。それが八重の仕事。これは兄・覚馬(西島秀俊)の計画を元長州藩士の槇村正直(髙嶋政宏)の指示のもとにできた最初の官立の女学校。この学校は、士族の子女だけではなく平民にまで門戸を広げたことで学生数も多くなり資金難になっていた。これを八重は槇村に直談判に行くのだったが、その槇村があまりにも横暴との業者からの上訴でとれらえられ東京送りになってしまう。
 これを知った覚馬と八重は東京に出たのだ。(ここで横化浜から新橋まで汽車に乗る。しかしは記者が早すぎるし、なんでわざわざ乗らなあんのかわからん・・)

 覚馬が上京して直談判に行ったのは木戸孝允(及川光博)の屋敷だが、ここに岩倉具視覚馬が来ることを知ってが現れる。ここで覚馬と八重は槇村の解放を願うが…

 この帰りに寺子屋があるのに気付くが、このテレ小屋には尚之助(長谷川博己)がひっそりと暮らしていた。この住まいを覚馬は勝海舟から教えられ、八重がその寺子屋を訪ねる。一緒に住まわせてほしいという八重に尚之助は「私の犂は八重は銃を持って凛々しく前を歩く人間だと」諭し、八重は「京都で庄之助をじっと待つ」と。

 こんなさなかに、朝廷では薩長土佐の勢力争いが繰り広げられていた。そして征韓論が飛び交っていた。この勢力争いに嫌気を指して西郷が離れ、そして幾人かの住地が離れて行って朝廷は分解状態になった。このおかげで槇村は解放されることに。

 一方ここ数回前から登場した新島襄(オダギリジョー)は、米国の教会で日本の現状を話し、学校建設が必要で米国民の援助が必要と演説する。(これが、同志社の設立につながるんだろうな…)


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 戦がなくなって殺し合いがなくなった筋には安ど。(しかしこの先、西南戦争があるんだよなぁ・・)それにしても八重の英語の学習進度が早いねぇ。。。感心する。の先どこまで彼女は賢くなるの?

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