2008年11月13日
シャッターチャンスを逃がした
何の写真かわからないですよねぇ。
2つの点みたいにぼけているのが、ジェット機です。
今日の午前のこと、ちょっと待ち時間の間空を見ていたら、2機のジェット機が名古屋の上空で交差。一つのファインダーに入り、それもぶつかるかのごとく見えたのに、チャンスを逃がしてしまった。
ニアミスかと思うような・・・
残念と思っていたその数分後、また2機が向かって近づいていく、今度はと思ったのですが、カメラのズームが利かないよぉ・・・・・ 仕方がないので、そのままシャッターを押したけれど、見たら、どこにも機影はない、拡大して見たのが上の画です。
今日は、ついてないなぁ。。。
それにしても、名古屋の上空って、結構ジェットが飛んでるんですねぇ。しかも、同じラインを行き来している。素人目には、ぶつかるように見えるよ。
タグ :シャッターチャンス
2008年11月13日
2008年11月13日
青空に紅葉が映える 緑区螺貝池
今日は、いろいろな事務手続きのために、また走り回る。これだけで午前をつぶして、帰宅が1時半を回った。
南に向かったところで、相生山の南で螺貝(ほらがい)池の横を通るときに、「わぁ。きれいな紅葉」。
春は桜で楽しむ池の周りが、その桜が紅葉しているのだ。と、このときは写真を撮ることができないので帰るときに撮ろうと思った。
いろいろ終えて、帰りに池の北に車をとめて・・・
晴天の青空の下、紅葉がきれいです。
南に向かったところで、相生山の南で螺貝(ほらがい)池の横を通るときに、「わぁ。きれいな紅葉」。
春は桜で楽しむ池の周りが、その桜が紅葉しているのだ。と、このときは写真を撮ることができないので帰るときに撮ろうと思った。
いろいろ終えて、帰りに池の北に車をとめて・・・
晴天の青空の下、紅葉がきれいです。
2008年11月13日
五木寛之・親鸞 歌を詠む
五木寛之氏の親鸞、とうとう比叡に上がることになって、『範宴』と名乗るように慈円から名前を授かった。
しかしなぁ。幼名が「忠範」はいくらなんでも8歳の子供には似合わないなぁ。吉川英治・親鸞では「十八公麿(まつまろ)」ではなかったかな?どっちにしても、公式な記録はないと聞く。
いずれの小説かも、何が元になったのやら・・・・
利発な子としての紹介は理解できるのだが、歌はどうなのだろう。確かに日野範綱の甥として歌に機体をされてはいるようだが、大人の世界の精神的なものを、情緒的なものを8歳で読むことができるのか?
天才といわれる学者が、10歳に満たないで大学に行く海外での話を持ってすれば、信じなければならないのか?
ただ、今日のストーリーの中にあった、発声の部分については、子空区この先のストーリーの大きな布石なのかもしれない。親鸞は、後世『和算』をたくさん書いているが、そこには多くが七五調の歌いようのものといわれている。ということは、音楽的な面での素養を子供のころから持っていたとしても認めれられる話ではある。
『念仏』というのは、天台宗の中で大きな声で唱和するものの中の一つ。そこにはリズムを持って昭和尾する。これは、キリスト教の賛美歌なども同じ発想ではないかと私は思っている。イスラムのモスクでのリズムある歌のようなものも同じではないだろうか?
五木寛之・親鸞は、この先30歳過ぎまで公文書に残らない親鸞をどのように描くのかじっくりと読ませてもらうことにしているが。。。
とにかく、吉川英治・親鸞とはかなり趣の違う親鸞像であることは確か。、
しかしなぁ。幼名が「忠範」はいくらなんでも8歳の子供には似合わないなぁ。吉川英治・親鸞では「十八公麿(まつまろ)」ではなかったかな?どっちにしても、公式な記録はないと聞く。
いずれの小説かも、何が元になったのやら・・・・
利発な子としての紹介は理解できるのだが、歌はどうなのだろう。確かに日野範綱の甥として歌に機体をされてはいるようだが、大人の世界の精神的なものを、情緒的なものを8歳で読むことができるのか?
天才といわれる学者が、10歳に満たないで大学に行く海外での話を持ってすれば、信じなければならないのか?
ただ、今日のストーリーの中にあった、発声の部分については、子空区この先のストーリーの大きな布石なのかもしれない。親鸞は、後世『和算』をたくさん書いているが、そこには多くが七五調の歌いようのものといわれている。ということは、音楽的な面での素養を子供のころから持っていたとしても認めれられる話ではある。
『念仏』というのは、天台宗の中で大きな声で唱和するものの中の一つ。そこにはリズムを持って昭和尾する。これは、キリスト教の賛美歌なども同じ発想ではないかと私は思っている。イスラムのモスクでのリズムある歌のようなものも同じではないだろうか?
五木寛之・親鸞は、この先30歳過ぎまで公文書に残らない親鸞をどのように描くのかじっくりと読ませてもらうことにしているが。。。
とにかく、吉川英治・親鸞とはかなり趣の違う親鸞像であることは確か。、