2009年08月04日

アカとクロに 催促される

 ついつい仕事とその息抜きのTVのせいで、カブトムシのエサをやっていなかった。昨夜のは朝に取ってしまっているので、エサは空っぽ。

 ついさっき、思い出して見に行ったら、がさがさ、二匹もと。催促である。突いたら、アカはいきり立ったが、クロはよほど腹が空いているのか、あまり元気ではない。それでも力は強いなぁ。。

 今日はゼリーを入れてやった。早速アカが食らいついている。クロはどうするでしょう・・・・  
タグ :カブトムシ

2009年08月04日

救急病棟24時

 今日は9時台に見たい番組がないので、仕事をしながらYVを流している。流れている番組は、「緊急SP 救急病棟24時」。
 過去の番組を見たことがないので、今回流れているストーリーが何となくばらばらに。震災の話が出てきたと思えば、その震災の中の病院があまりにもきれいすぎるし。。。
 俳優さんに、なくなった高松英郎が出てきたし。ひょっとしたら回想シーンだったのだろうか?片手間にドラマを見るなってか??
 
 仕事の合間にちらちら、それに息抜きのためのブログ書き込み。


 どうして、こうもフジ系のドラマって臨場感ないの?震災を受けたら、病院も被害を受ける。救急で運び込まれる患者で満杯になり、あんなきれいな病院なんて・・・・

 それにしても、松嶋菜々子 子供産んでから、芝居がさらにうまくなったように思える。
 江口洋介は、「白い巨塔」以後、医者が板についてしまったなぁ。。いいのか、悪いのか。彼にとって。  

Posted by 生田 at 21:48Comments(2)TrackBack(0)今日の日

2009年08月04日

南極物語

 昨夜8時からBSで映画を見た。
 あの『南極物語』 実際にあったのは昭和34年か35年。
 タロとジロが見つかったのが、私が高校1年の時。と言うことは、伊勢湾台風の年の秋か、その翌年の1月位?昔の話になってしまったなぁ。

 映画が作られたのは28年位前とのこと。我が家では、娘が始めて映画館で映画を見た最初のも映画だって。昨夜そんな話をしていた。
 登場する人たちがみんな若いものね。夏目雅子がきれいに演じている作品の一つ。彼女、生きていたらどんな俳優さんになっていたでしょう。それを思うと残念気持ちにもなった。
 そういえば、高倉健さん 最近見ないけど、どうしているんで?

 こうして、時折古い映画や、古い時代を題材にした映画を見ると、その時代の自分を思い出す。このタロ、ジロの時は、高校1年。まだ将来の進学先の希望もしっかりと持っていたとき。希望は希望委で夢でしかないなんて、まだ気づいていなかったときのこと。
 タロ、ジロの生存を聞いて、あきらめないことかなぁ?なんて思ったりもしていた時期。

 翌年には夢破れて・・・・・・・ まだ受験前なのに夢が消えてしまった。


 南極物語は、現実には犬たちがどう生き延びたかは想像の世界での作品だが、そんなことは感じさせない、さもあろう、こんな厳しい状態の中で、犬たちは犬たちの考えで、命をかけて生きたと思わせるものだ。

 まいど、TVドラマの構成で書くことだけど、脚本や構成がしっかりとしているものは、本当に見応えのある先品に仕上がる。それなりに金がかかるというかもしれないが、金をかけないでも構成がしっかりとしたものを作ることは可能なはずなのだが。

 おそらくこの作品も今作るとCGを使ったものになるだろが、やはり実写を用いたものは、映像の奥行きがあるし臨場感がすばらしい。CG作品の奥行きのなさは、もういい加減うんざりしている。今の監督、制作者たちに反省を望みたいものだ。



**
 そうそう、ストーリーの中で、イにが、仲間に自己があったりして死んだりすると鳴いてましたね。あれは本当にあることですし、兄弟犬は特に仲がいいことも私は子供の頃に経験してます。また、かわいがってもらった人が亡くなると泣くことも知ってます。(母が亡くなったときは、馬鹿犬と思っていたのですが、ものすごく悲しそうに遠吠えのように鳴きました。)  

Posted by 生田 at 18:35Comments(0)TrackBack(0)TVなど

2009年08月04日

2時間の睡魔との戯れ

 昨夜は11時すぐに寝て、今朝は7時半の目覚めだから、睡眠は十分なはずと思っていた。ところが10時を回ったところで仕事をしようとPCの前についたら、どうにも目が重い。でかい目だから重いわけではなさそうで、とにかく眠い。致し方ないので、ふとんの上で横になったら、そのまま寝てしまった。そして目が覚めたのは12時を回った。

 この間、あのうるさいセミの声にも反応せずに、熟睡したようだ。疲れているという感じはないのだけど、何故かここのところ眠い。
 確かに、先日来夜中に何度も目を覚ますという自体になっていたので、自覚症状に関係なく意味不足を体が自動的に補っていると言うことだろうか?
 昔なら、仕事があると言えば睡眠不足であっても、何とか目を開けていたように思うけど、年を重ねるとだんだんこういったことになるのかな?そして、そして、いずれはズ~~~と目が開かなくなるということか?

 2時間の熟睡。今はすっきりさわやか。  
タグ :熟睡睡魔

Posted by 生田 at 12:17Comments(2)TrackBack(0)今日の日

2009年08月04日

私は神になりたい。

 裁判員制度が始まった。
 人が人を裁くことは難しいですね。犯罪というものを裁くときは、法律という基準を持って裁かねばならないから余計に難しい。聞くところによると日本の『裁判員制度』は裁判員が量刑まで踏み込むとあるらしい。
 確か、米国の陪審制度では、『有罪/無罪』の判断だけで量刑は裁判官がするんではなかったか?もっとも、裁判に等級があるみたいだからかなり日本の制度とは違うのだろう。

 犯罪、つまり罪を犯した人間に何らかの罰を与える必要があるのだが、その罪自体が人によって感じ方が違うだろう。何故その罪を犯すことになったのか、それを考えると判断する側の心の揺れで結論がかなりぶれることもあるだろう。
 たとえば「嘱託殺人」というケースを考えてみると、結果的には『殺人である』人を殺したと言うことには変わりはない。しかし、病気の苦しみに耐えられなくて『殺してくれ』と哀願されたときに、それを聞き届けた人に対してどのように裁判員は判断するだろうか?本当に哀願されたのか?それとも罪を犯した法の勝手な判断の可能性を払拭できるのか?哀願されていなくても、看病に疲れて、思いあまってと言う、そういった可能性を神でもない人間が、神になったかのごとく、断定しなければならない。
 私ならば、その結論を下した後、一生その結論を下した事への悔いに悩まされるかもしれない。

 昔、10年以上教鞭を執っていた。最初の頃は、レポートの提出による採点に関して、気持ちの抑圧というものもなく、ただ義務としての採点をしていたのだが、 ある時ふと自分の過去の成績表=通信簿の記述がよみがえってきた。そこには教師の所見が書かれていた。
 その通信簿の内容は、上の学校からの問い合わせで公開されていたことを知った。ある一人の教師の所見のまま、上の学校に判断されていたことも知った。その記憶が残っていたのだ。

 一人の教師の下した成績。他の教師が、同じレポートの採点をしたらどう判断しただろうか?私と全く同じになるだろうか?下された判断が、学生たちが就職するときの基準となることもあり得るというのに。
 教師の違い、学校の違い、これによって下された評価が、評価を下された学生の将来を左右すると言うことに思い当たったとき、はたと困ったことがある。
 それに気づいたときかあら、私は学生にレポート返却の際には一人一人に面談で返すことにした。そして、採決の理由とその採決が現時点での私の判断に過ぎないことを話をした。これでも私の独断であることには変わりはない。ただ単なる私のマスターベーションに過ぎないとは思うのだが。
 教師の立場を離れて、正直ほっとした。これで人生を左右する、永久の残る成績という評価を与える事もないだろうと。

 これが、犯罪という問題で、死刑という重罪を扱うとなると、人生ではなく命の問題になってくる。誤審と言う可能性を裁判員は一生背負っていかねばならないのだろう。それが死刑宣告であろうと、その逆であろうと、誤審があったときは、特に冤罪で死刑判決を下したことが分かったときは、裁判員の精神的なものはいかばかりかと思う。

 人が人を裁く。難しい問題だ。 

 私は神になりたい。  

Posted by 生田 at 09:16Comments(0)TrackBack(0)今日の日

2009年08月04日

遠慮なくセミが・・ 受難の季節

 セミは、人間世界の梅雨明け宣言を知ったのか?これまでもかなりうるさかったセミが、今朝は遠慮なく大きな声でわめいている。おかげで私は他の音がほとんど聞こえないのだ。

 私の耳は、聞こえやすい音程と聞こえにくい音程がある。体調によって中途半端に低い音程が全くと言っていいほど飛ぶこともある。そんなときは音楽が全く音痴に聞こえたりもする。体調のいいときでも、娘の声などは一番聞き取りにくい音程になるらしく、ほとんどだめに近い。
 1メートル離れた娘のことよりも5メートル離れたTVの音の方がよく聞こえる。アカら、会話をするときはTVを切らねばならないこともある。

 そんな私だから、今朝のようにセミがうるさいと周りの音が聞こえなくなってしまう。ただ、今何の音か分からないが、まるで秋の虫の『ウマオイ』のような。。ん?はさみの音かな?のような音はセミの声の中を通ってくる。

 30年位前に、目を回してひっくり返ったことがある。緊急に見てくれた医者がびっくりしていた。目を覗いて、くるくる回転しているのを見て、本物のメニエルに出会ったことの驚きだったようだ。それ以来めまいは通常のこと。
 しかし、難聴はどうもそれが原因ではないようだ。問題は時間凶作らしく、右の耳はよほどの高い音でないと反応しない。ただ、高い音が大きいと逆に神経がやられてパニックになりそう。(耳鼻科で話したら、パニック症候群と間違えられた)
 
 これからまだまだセミの喧噪は大きくなり続く。受難の季節である。  

Posted by 生田 at 08:39Comments(0)TrackBack(0)今日の日
  
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1泊2日のドライブ旅行
2015北海道・道東の旅
1週間870kmのドライブ旅行
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OB会の後に鎌倉と横浜に行ってきました
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14年秋 京都宿泊の旅
久しぶりに新幹線に乗りましたが・・・
13年秋 京都ドライブ旅
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12年秋 室生寺ドライブ旅
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12年秋 京都ドライブ旅
1年ぶりの京都です
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平泉・わんこそば
   
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素晴らしい観音さんに出会いました
室生寺・五重塔
10年初夏 宇治・長岡 日帰り旅
09年11月26日久しぶりに黄檗山満福寺・六地蔵・法界寺谷寺・長岡天神
布袋さん
09年秋京都 日帰り旅
09年11月26日久しぶりに 紅葉がきれいな京都
南禅寺の紅葉
08年秋京都 日帰り旅
08年11月25日貧乏・一人・日帰り旅の記録です。
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生田
 トップの写真は、我が家の庭で、鳥達につつかれ実もなくなり枯れ果てた柿の枝です。人生も同じで、仕事仕事で突き回されてここまで来て、落ち着いたら、だんだん枯れていくんだという思いです。  
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