2009年12月09日

浅見光彦 最終章 第8話エキゾチック横浜編

 横浜殺人事件がモチーフと、何となく初めて原作と一致したという印象かな?もっtも原作の横浜とドラマの原作はかなり時代が違うから、描かれ上家にはかなり差があるとは思う。

 そういえば、私は横はまさに最後にいったのは10年か前のことになる。岡谷からなkせんどうの和田峠声をやって、策から高速に乗って・・・・高崎から茨城県の下妻、栃木県の二宮町、益子町、茨城県の笠間市、水戸市そして鹿島と、この中には親鸞ゆかりの地がいくつかあるのだが、それらを見た後、最後に横浜に高速で移動した。
 レインボーブリッジを渡るはずが、斜線を間違えて川崎に行ってしまって途中から戻る方向に線を変えて何とか渡って・・・なんてことをして横浜にたどり着いた。
 当時は、まだ「みなとみらい」が完全にできてい、というよりも建設は始まって間もない頃だったように思う。だから今の横浜の情景を頭に浮かべることができない。

 港の見える丘公園や、外人墓地のあたりをぐるぐる回って、名門女子学院「フェリス女学院」のところで「へぇここが」なんて声を発した記憶が。あの近くの住宅地を走っていると何となく異国を感じたかな?(そういえば、今年の4月の大学のどう年会でフェリス出身の学友と会ったなぁ)

 横浜に行ったのは、水主にもう5度あるが、うち3度は中心部に入っていないのでこれは外すとして、残りの一度は大学時代に恩師のお仕事のお手伝いについて某石油コンビナートメーカーの工場に行ったことがあるが、これはもうどの辺りだったか記憶が遠くなっている。もう一つは、妹の結婚披露宴の時に私の母親と息子と一緒に氷川丸に乗ったことを覚えている。
 そんな記憶しかない私の横浜である。(神戸の方がもっとたくさんいったかなぁ?でもそれも昔の話だ)

 ドラマはちょっと重い雰囲気です。みんなが正装しているのに、光彦のブルゾン姿が何となく浮いています。毎度のことではあるけど、これでいいのかなぁ????もう少しいいもの着せてやれよ、車はソアラにのってんだろ?といいつつ、最終章ではあまり車に乗った姿見ていないよね。
 今日の須美ちゃんは?兄貴は? 今日はご活躍なかったですね。

 それにしても最後の方に出てきたバックミュージック「太陽がいっぱい」は何??


さてさて 来週は、最終回。須美ちゃんはどうなるんですかねぇ・・・・・光彦の活躍よりも、私はこっちの方が気になるよ。


***
 赤い靴 といえば、私は同様の「赤い靴」よりも大昔のバレー映画、モイラ・シアラーの映画を思い出す。ちいさい時、たぶん小学校に入っていなかったと思う、そのときに見た踊り続ける赤い靴が今でも記憶にある。
 TVの再放送での記憶ではなく、子供の時の記憶。  

Posted by 生田 at 21:54Comments(0)TrackBack(0)TVなど

2009年12月09日

名古屋を歩く 洲崎橋~白川公園~栄 その1

 今日は本当は実家に行く予定をしていなかったけど、明日は雨になりそうなので、今日のうちに歩いていこうと出かけて。
 行く時は、上前津で地下鉄を下車して実家まで歩いた。地上に上がったらすぐバスが見えて。乗ろうかという誘惑に負けそうになるのを我慢して、10分くらいでいけるところを30分近くかけて歩いた。もうこれだけでも結構お腹はすく。

 昼のお弁当を食べて、ちょっと難しいことを考えていたけど、なんとか解決のめどがついたので、歩こうと2時に実家を出発。
途中お客さんのところにお届けものをするので中川運河を渡ったところで、右手に母校の小学校の前の小公園の銀杏がどうなったかなと寄り道。
 写真の後ろに見えるのが暴行「広見小学校」です。私たちのころはひとクラス50人くらいの3クラスだったかなぁ。。。今は1学年でひとクラス作るのがやっとらしい。少子化の問題だけでなく過疎化している学区です。

 お客さんのところにお届けものを置いて、六反を経由して水主町に。

 新海苔が発売になっているので過去町の海苔屋さん「駒屋」で新海苔を求める。そして、いく先を白川公園に定めて歩き始めた。駒屋のすぐ北に昔から(昭和10年架橋とあった)の橋がある。現在は少し北に新洲崎橋がメインで上を高速道路が通っている若宮大通りだが、その端ができるまでは、この洲崎橋を往来することが当たり前だった。今日は渡る人とも少ないようだ。

 橋を渡り若宮大通りに出る。北を通ろうか南を通ろうかちょっと迷ったが、イチョウの色を見てまず南を東進して、次の信号できたに渡った。
 左の写真は、西行きの高速の白川入り口の下あたりになる場所です。右は東行き出口のところです。


  

Posted by 生田 at 17:53Comments(2)TrackBack(0)名古屋を歩く

2009年12月09日

白内障手術から一年

 昨年白内障の手術をして絡まる一年が経過した。

 確かにきれいに見えるようになった。色はきれいに見えるようになったけど、もともと左右のバランスが違っていたようで、見える色に左右で違いがある。両眼で見たときは、左右の中間色でものをいているようだ。その上に左右の高さが違うことから、疲れたときにメニエルに近い現象になったりする。
 
 もうひとつは、歯茎の炎症からの影響を受けているのではないかと思われるのだが、左目が時折かすむ。このかすむ無症状は多少軽くなったものの、感知は難しいのかもしれない。もうひとつ、左目が何かごみでも入ったような感じになることも多く、2年前の暮れだったかそんな症状で眼科にかかったのが手術することになる一連の経過の始まりだった。
 
 体をいじめる手術は、 大きなものでは
 「扁桃腺肥大症で扁桃腺除去手術」。これは中学校の1年の夏休みにしたが、それまでは40度を越す高熱に悩まされることが毎年数回あったものが少なくなった。
 36歳の9月に『アキレス腱断裂』のために1ヵ月半の入院。これはいまだに右足に後遺症を持つ。長時間立ちっぱなしのときに影響が出る。
 そして昨年の『白内障手術』
 手術のたびに思うことは、できることならば手術しなくてもすまないだろうかなんて思う。手術までの問題はある程度改善されるにしても、完璧に改善されることは無いから。そして後遺症も残ると、何のためにしたのだろうなんて思う。しかし、しなければ、症状を抱えたままということにもなるしなぁ。。。

 この先、だんだん体力が衰えていくだろうから、あまり手術なんてことはしたくない。そのためには常日頃から健康に気をつけていくだけのことだろうが、何が起きることやら・・・・・  

Posted by 生田 at 11:27Comments(0)TrackBack(0)自分の健康
  
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 トップの写真は、我が家の庭で、鳥達につつかれ実もなくなり枯れ果てた柿の枝です。人生も同じで、仕事仕事で突き回されてここまで来て、落ち着いたら、だんだん枯れていくんだという思いです。  
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