2015年08月25日
強風と寒気
台風が遠くを通過している
そのせいで
風がものすごく強い
天白区でお年寄り(私よりも)が転倒で怪我だって
それに寒いわぁ
いつもアンダーシャツ一枚なのに
今日は上に一枚羽織った
半ズボンは寒いなぁ。。。。
そのせいで
風がものすごく強い
天白区でお年寄り(私よりも)が転倒で怪我だって
それに寒いわぁ
いつもアンダーシャツ一枚なのに
今日は上に一枚羽織った
半ズボンは寒いなぁ。。。。
タグ :台風通過中
2015年08月25日
今日の昼飯 そうめん
ここ数日朝晩涼しくなった
今日は台風のせいで天気が悪い
そのせいで暑さもなく
ちょっと肌寒いくらいだ
こんな日に何を食べようか?
こんなことなら、一昨日昨日と
高山ラーメンをアレンジして熱く熱く食べたのだが
さすが3日連続のラーメンはなぁ
そこで何にするか迷ったけど
ご飯ものにするにはご飯がない
となると蕎麦かそうめん
蕎麦は先日郡上で食べてきた
ということで
そうめんに落ち着いた
そうめんだけ
本当にそうめんだ明けだったが
冷蔵庫に”おくら”が残っていたので
これを食べた
あ〜〜〜ぁまた動物性タンパクなしだヨォ
今日は台風のせいで天気が悪い
そのせいで暑さもなく
ちょっと肌寒いくらいだ
こんな日に何を食べようか?
こんなことなら、一昨日昨日と
高山ラーメンをアレンジして熱く熱く食べたのだが
さすが3日連続のラーメンはなぁ
そこで何にするか迷ったけど
ご飯ものにするにはご飯がない
となると蕎麦かそうめん
蕎麦は先日郡上で食べてきた
ということで
そうめんに落ち着いた
そうめんだけ
本当にそうめんだ明けだったが
冷蔵庫に”おくら”が残っていたので
これを食べた
あ〜〜〜ぁまた動物性タンパクなしだヨォ
タグ :昼飯
2015年08月25日
久々の郡上 05 円空ふるさと館 善女龍王
美並ふるさと館の”円空ふるさと館”の中を回っている。展示室は大きく二つに分かれているが、左回りで見ていくと円空さんの作品が年代順に並べられている。
この美並にはかなりの数の円空仏があって、その中の90数体が展示されていると書かれているけど、多くが本当に小さいもので、大きなものは少ない。展示されていないものの中に大きいものでもあるのかなぁ?と思ったものだ。
たくさん見たけど、やっぱり私が模刻した”善女龍王”の本物しかほとんど記憶に残ってないなぁ。順を追って見ていって、やっと念願の本物前にやってきました。
へぇ〜〜〜こんなにでっかいんだぁ。私の模刻箱の本物の半分くらいの像高かなぁ。私の作品の中ではまぁ大きい部類だけど、それよりもうんと大きい。材料があれば同じ大きさで彫ってみたい。(ごめんなさい、写真は私の模刻作品です)
写真ではわからなかったことがいっぱい。円空さんの作品は丸太のは何割や三ツ割を使っているので、結構厚みのないものが多いが、この”善女龍王”は予想外の厚みがあった。といっても左右の中ほどに厚みがあるのだ。これは写真ではわからないよなぁ。。できたら上からも見てみたい。。。。
この像は、善女我流を首から上に巻いている姿なのだが、その龍の顔を見て『えっ。。目が尖っている。。。』。唖然である。やはり本物を見ないとわからないことがいっぱいある。写真を見ての模刻に満足していてはいけないなぁと反省しきりだ。
この”善女龍王”を彫る気になったのは、展示会用の作品を彫る段になって、いくルカの円空さんの作品の掲載されている書籍を眺めていて、この”善女龍王”の顔の微笑みに惹かれたからだ。
微笑みの仏師として石られる円空さんだが、この作品の顔の微笑みはなんとも丸く他の荒削りの中の微笑みとは違うように思ったからだが。。。。。結局のこの”善女龍王”の模刻は3体彫った。最初は小さいものだったが、どうにも大きくしたくなって、たまたま頂いた材料がバランス的に彫れそうだったこともあって、最終的に展示会に出すものを彫り上げた。それが写真のもの。100%満足いくものではないけど、これまでの模刻の中ではできのいい方かなぁと思っている。
でもなぁ、本物を見たらもっといいものを彫ってみたくなった。
そんな思いで展示室を後にしました。そして入り口のホールに戻り、隣の展示室”生活資料館”に行った。
山の中の生活資料館。どこでも見受けられるものが並んでいる。子供の頃、山を一ついや幾つか越えて東に行った和良で毎年過ごした私には驚くものはなかったが、一つだけ、筏の組み方があったのには、和良での記憶長いだけに”ホォ〜”だった。
最後に受付で”美並村と円空”という本を求めて、ふるさと館を後にした。そして車に戻り、ミンミンゼミの鳴く山間の道を”日本真ん中センター”に向かった。
この美並にはかなりの数の円空仏があって、その中の90数体が展示されていると書かれているけど、多くが本当に小さいもので、大きなものは少ない。展示されていないものの中に大きいものでもあるのかなぁ?と思ったものだ。
たくさん見たけど、やっぱり私が模刻した”善女龍王”の本物しかほとんど記憶に残ってないなぁ。順を追って見ていって、やっと念願の本物前にやってきました。
へぇ〜〜〜こんなにでっかいんだぁ。私の模刻箱の本物の半分くらいの像高かなぁ。私の作品の中ではまぁ大きい部類だけど、それよりもうんと大きい。材料があれば同じ大きさで彫ってみたい。(ごめんなさい、写真は私の模刻作品です)
写真ではわからなかったことがいっぱい。円空さんの作品は丸太のは何割や三ツ割を使っているので、結構厚みのないものが多いが、この”善女龍王”は予想外の厚みがあった。といっても左右の中ほどに厚みがあるのだ。これは写真ではわからないよなぁ。。できたら上からも見てみたい。。。。
この像は、善女我流を首から上に巻いている姿なのだが、その龍の顔を見て『えっ。。目が尖っている。。。』。唖然である。やはり本物を見ないとわからないことがいっぱいある。写真を見ての模刻に満足していてはいけないなぁと反省しきりだ。
この”善女龍王”を彫る気になったのは、展示会用の作品を彫る段になって、いくルカの円空さんの作品の掲載されている書籍を眺めていて、この”善女龍王”の顔の微笑みに惹かれたからだ。
微笑みの仏師として石られる円空さんだが、この作品の顔の微笑みはなんとも丸く他の荒削りの中の微笑みとは違うように思ったからだが。。。。。結局のこの”善女龍王”の模刻は3体彫った。最初は小さいものだったが、どうにも大きくしたくなって、たまたま頂いた材料がバランス的に彫れそうだったこともあって、最終的に展示会に出すものを彫り上げた。それが写真のもの。100%満足いくものではないけど、これまでの模刻の中ではできのいい方かなぁと思っている。
でもなぁ、本物を見たらもっといいものを彫ってみたくなった。
そんな思いで展示室を後にしました。そして入り口のホールに戻り、隣の展示室”生活資料館”に行った。
山の中の生活資料館。どこでも見受けられるものが並んでいる。子供の頃、山を一ついや幾つか越えて東に行った和良で毎年過ごした私には驚くものはなかったが、一つだけ、筏の組み方があったのには、和良での記憶長いだけに”ホォ〜”だった。
最後に受付で”美並村と円空”という本を求めて、ふるさと館を後にした。そして車に戻り、ミンミンゼミの鳴く山間の道を”日本真ん中センター”に向かった。
2015年08月25日
久々の郡上 04 円空ふるさと館
星宮神社に戻った。拝殿を左に見て、鳥居の左側に建物がある。これが”美並ふるさと館”でこの中に”円空ふるさと館”もあるらしい。ネットであらかじめ見てきた情報では、この中に90体以上の円空仏があると書かれていた。そしてその中には、私がこの5月の名古屋円空仏の会の展覧会に出品した模刻”善女龍王”もあると。
写真はその出品した模刻です。本当は本物を掲載したいのですが、館内は撮影禁止だし、書籍からは著作権云々で掲載ができないので、悪しからず。(ネットでも本物の写真見つけれなかったなぁ。。)
上記は”美並ふるさと館”の入場券です。この券のメインは”美並ふるさと”ですが、館の中は二つに分かれていて、入り口からまっすぐ進むと”円空ふるさと館”で入り口のホールの右手に行くと”生活資料館”となっている(らしい)。
入り口では着物をスリッパない履き替えて、引き戸(主導)を開けて中に入る左手に関所がある。私ら以外誰も来ていない。係りも顔も見えないなぁと思っていたら、奥からちょっとお年の(年齢不詳)の男性が出てきた。ここでお金を払って、円空館の方に入る。
入り口からもう本物と桃国ともつかないものが並んでいる、しかしここのは多分にも酷だろうと思う、どうにも円空さんののみとは違うように思えるから。
円空さんの年表だったかなぁ、そんな書き物があったけど全く記憶になり。私はあの本物に会いたいという気持ちが先を急かせているから。
奥に入ると階段がある。あんまり上がりたくないけど、上がらないと本物に会えないし、頑張って上がった。正面に墨で書いた円空仏の集合絵がある。かなりな書き手が書かれたものではないかと思うが、サインは”金田龍之介”なっていた。
今これを書きながら、ネットで検索したところ、金田さんは一人芝居で”円空”絵お演じていて、この円空ふるさと館”の名誉館長でもあったようだ。そんな縁での作品かなぁ。達筆というのは書道の世界だろうけど、この作品は書道ではないけど、そんな印象を持ったものです。
その絵の額の前を右に折れると展示室だ。誰もいない。円空さんがいっぱい並んでいる。そして一番奥にあの本物の”善女龍王”がおいでになるのが目に入った。気持ちは流行るが、制作年代別に並べられた円空さんの作品を順に見ていくことにした。
展示館に入ってすぐ左に折れると、円空さんの本当の初期の作品が並んでいる。へぇ〜〜〜〜こういったものを彫っておられたのですかぁ。。。と感心する。見たところ、本当に素人さんの作品で、なんとか一生懸命写実的に彫ろうとしている、円空さんとして有名なあの荒削りの面影は全くない。
時代を追っていくとだんだん作風が変わってくる。この館の書かれた年表などによると円空さんは、星宮神社を拠点にして、全国(といってもほとんどが奈良から東北海道まで)を旅して、この地区を出たり入ったりしている。その旅したところのどこかで、あの円空仏の作風の天気になったところがあるのではないかと思う。
私は、そのきっかけは、円空さんがえら圏の天川に行き、その帰りに法隆寺に行き、法隆寺の仏さんたちに出会ったことがきっかけではないかと思っているのだが、研究する学者でもないし、資料をじっくり見たわけでもないからこれはわからないが・・・
続けて書くと、ものすごく長くなりそうなので、ここで一旦止めて、本物の話はこの次に書くことにします。
写真はその出品した模刻です。本当は本物を掲載したいのですが、館内は撮影禁止だし、書籍からは著作権云々で掲載ができないので、悪しからず。(ネットでも本物の写真見つけれなかったなぁ。。)
上記は”美並ふるさと館”の入場券です。この券のメインは”美並ふるさと”ですが、館の中は二つに分かれていて、入り口からまっすぐ進むと”円空ふるさと館”で入り口のホールの右手に行くと”生活資料館”となっている(らしい)。
入り口では着物をスリッパない履き替えて、引き戸(主導)を開けて中に入る左手に関所がある。私ら以外誰も来ていない。係りも顔も見えないなぁと思っていたら、奥からちょっとお年の(年齢不詳)の男性が出てきた。ここでお金を払って、円空館の方に入る。
入り口からもう本物と桃国ともつかないものが並んでいる、しかしここのは多分にも酷だろうと思う、どうにも円空さんののみとは違うように思えるから。
円空さんの年表だったかなぁ、そんな書き物があったけど全く記憶になり。私はあの本物に会いたいという気持ちが先を急かせているから。
奥に入ると階段がある。あんまり上がりたくないけど、上がらないと本物に会えないし、頑張って上がった。正面に墨で書いた円空仏の集合絵がある。かなりな書き手が書かれたものではないかと思うが、サインは”金田龍之介”なっていた。
今これを書きながら、ネットで検索したところ、金田さんは一人芝居で”円空”絵お演じていて、この円空ふるさと館”の名誉館長でもあったようだ。そんな縁での作品かなぁ。達筆というのは書道の世界だろうけど、この作品は書道ではないけど、そんな印象を持ったものです。
その絵の額の前を右に折れると展示室だ。誰もいない。円空さんがいっぱい並んでいる。そして一番奥にあの本物の”善女龍王”がおいでになるのが目に入った。気持ちは流行るが、制作年代別に並べられた円空さんの作品を順に見ていくことにした。
展示館に入ってすぐ左に折れると、円空さんの本当の初期の作品が並んでいる。へぇ〜〜〜〜こういったものを彫っておられたのですかぁ。。。と感心する。見たところ、本当に素人さんの作品で、なんとか一生懸命写実的に彫ろうとしている、円空さんとして有名なあの荒削りの面影は全くない。
時代を追っていくとだんだん作風が変わってくる。この館の書かれた年表などによると円空さんは、星宮神社を拠点にして、全国(といってもほとんどが奈良から東北海道まで)を旅して、この地区を出たり入ったりしている。その旅したところのどこかで、あの円空仏の作風の天気になったところがあるのではないかと思う。
私は、そのきっかけは、円空さんがえら圏の天川に行き、その帰りに法隆寺に行き、法隆寺の仏さんたちに出会ったことがきっかけではないかと思っているのだが、研究する学者でもないし、資料をじっくり見たわけでもないからこれはわからないが・・・
**法隆寺の小さい仏像が国の重要文化財と指定指定され、東京国立博物館に収められているが、これらを見ると円空さんの衣のギザギザになったんでは?と思うものがたくさんある**
続けて書くと、ものすごく長くなりそうなので、ここで一旦止めて、本物の話はこの次に書くことにします。