2007年09月27日
妙高高原2 06旅の記録 3日目 2
第3日 北国街道・19号を走る その2
上越から妙高高原 2
昨年左に折れて飯山に向かった交差点に来た。今年は時間が遅いせいか、やはりダンプカーを見かける。まだ北陸新幹線の工事は続いているのだろう。
交差点の信号は青、そのまま直進する。もう車はいなくなり。4年前に初めてここを通ったときは、本当に心細かった。細い道、対向車も、後続車もない一人旅。どこに出るのやら、カーナビのない車では、本当に初めての道は心細いものなのだ。
今回は2回目だ。親鸞の足跡をたどる旅でなければ、現在の新しい18号線を走ればスムーズに走れるものを、誰も今は走らないような道を走ること自体が、傍から見れば馬鹿げたことなのかもしれない。そんな思いもよぎることなく、前回2年前の9月の記憶を頭に戻して一路南に向かって上っていく。
さすが妙高高原を通過する道、妙高市の街中から上り坂になった道の勾配が更にきつくなってくる。舗装されている道路ではあるものの、遠く向かっている勾配の道は無舗装の道かと一瞬錯覚するような道が続いている。2年前のあの不安な気持ちがわからないではない。
今走っている道は、旧国道十八号線であって、江戸時代に言われている本当の『北国街道』とは違うようだ。東海道でもそうなのだが、国道と旧街道はまったく同じところは少なくなっている。車が通ることが新しい道を必要とした、そのために旧街道から多少、いや大幅なところも多いが、ずれてしまうことにもなった。
こうして、昔のイメージを辿ろうとしても、歩くわけではないので、本当の街道を走破することは難しい面がある。言い訳といわれるだろうが、昔の街道がすべて車が通れるかの保証はない。
飯山に向かう国道292号線との分岐交差点から現在の十八号線(上新バイパス)まで6キロ弱をエンヤコラ登っていく。横に信越線の線路が見えるが、前回同様にこの間を走るときには電車を見ることはなかった。北陸新幹線ができると、この線はどうなるのだろう。生活に必要な鉄道も、廃線の憂き目となるだろうか。これで思い出すのは、昨年軽井沢から高崎に向かうとき下った旧18号線だ。あの下りは15キロもあったが今のこの勾配なんていうものではなくもっともっと急で長い下り坂だった。しかし、あの区間の信越線は、新幹線のおかげでなくなってしまった。
あの18号線の下りでも思ったことだが、親鸞家族は車ではなく、歩いて下った、ここもそうだが、幼い子供連れの親鸞は歩いて(おそらくだが) 登っているはずだ。
登りきったところで、現18号線と合流するのだが、18号線は上を走っている。3年前はこのバイパスの下をくぐって18号線にはいった。そして逆方向の上越に向かって少し走り、上信越道の中郷ICに入った。
今回は、高速に乗らないので、18号線をくぐることはなく側道から南に向かう。
18号線にはいると道路は一変する。広い、きれい、これが時代の流れを示しているのだろう。10年位前になるか、会津若松に向かうとき、朝の早い時間に野尻湖から上越に向かってこの道を走っている。逆を向いているので景色が違うが、確かに広くて、見晴らしがよく、気持ちのいいドライブだったと記憶している。地図はこちら
見晴らしがいいというか、なんとなく開放された気分になった。天気がよければ、いや、天気は悪くはないのだが、雲というか靄というか高い山々はかすんでしまって見えないのだ。妙高のふもとという条件から行けば、山々が見えれば高原の気持ちよさを味わうことができると思うが、それができなくて残念な気持ちだ。
肉眼では見えなかった妙高の連峰ですが、写真のコントラストをいじってみたらうっすらと出ている。私の目が悪くなったのかと、愕然としている。
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上越から妙高高原 2
昨年左に折れて飯山に向かった交差点に来た。今年は時間が遅いせいか、やはりダンプカーを見かける。まだ北陸新幹線の工事は続いているのだろう。
交差点の信号は青、そのまま直進する。もう車はいなくなり。4年前に初めてここを通ったときは、本当に心細かった。細い道、対向車も、後続車もない一人旅。どこに出るのやら、カーナビのない車では、本当に初めての道は心細いものなのだ。
今回は2回目だ。親鸞の足跡をたどる旅でなければ、現在の新しい18号線を走ればスムーズに走れるものを、誰も今は走らないような道を走ること自体が、傍から見れば馬鹿げたことなのかもしれない。そんな思いもよぎることなく、前回2年前の9月の記憶を頭に戻して一路南に向かって上っていく。
さすが妙高高原を通過する道、妙高市の街中から上り坂になった道の勾配が更にきつくなってくる。舗装されている道路ではあるものの、遠く向かっている勾配の道は無舗装の道かと一瞬錯覚するような道が続いている。2年前のあの不安な気持ちがわからないではない。
今走っている道は、旧国道十八号線であって、江戸時代に言われている本当の『北国街道』とは違うようだ。東海道でもそうなのだが、国道と旧街道はまったく同じところは少なくなっている。車が通ることが新しい道を必要とした、そのために旧街道から多少、いや大幅なところも多いが、ずれてしまうことにもなった。
こうして、昔のイメージを辿ろうとしても、歩くわけではないので、本当の街道を走破することは難しい面がある。言い訳といわれるだろうが、昔の街道がすべて車が通れるかの保証はない。
飯山に向かう国道292号線との分岐交差点から現在の十八号線(上新バイパス)まで6キロ弱をエンヤコラ登っていく。横に信越線の線路が見えるが、前回同様にこの間を走るときには電車を見ることはなかった。北陸新幹線ができると、この線はどうなるのだろう。生活に必要な鉄道も、廃線の憂き目となるだろうか。これで思い出すのは、昨年軽井沢から高崎に向かうとき下った旧18号線だ。あの下りは15キロもあったが今のこの勾配なんていうものではなくもっともっと急で長い下り坂だった。しかし、あの区間の信越線は、新幹線のおかげでなくなってしまった。
あの18号線の下りでも思ったことだが、親鸞家族は車ではなく、歩いて下った、ここもそうだが、幼い子供連れの親鸞は歩いて(おそらくだが) 登っているはずだ。
登りきったところで、現18号線と合流するのだが、18号線は上を走っている。3年前はこのバイパスの下をくぐって18号線にはいった。そして逆方向の上越に向かって少し走り、上信越道の中郷ICに入った。
今回は、高速に乗らないので、18号線をくぐることはなく側道から南に向かう。
18号線にはいると道路は一変する。広い、きれい、これが時代の流れを示しているのだろう。10年位前になるか、会津若松に向かうとき、朝の早い時間に野尻湖から上越に向かってこの道を走っている。逆を向いているので景色が違うが、確かに広くて、見晴らしがよく、気持ちのいいドライブだったと記憶している。地図はこちら
見晴らしがいいというか、なんとなく開放された気分になった。天気がよければ、いや、天気は悪くはないのだが、雲というか靄というか高い山々はかすんでしまって見えないのだ。妙高のふもとという条件から行けば、山々が見えれば高原の気持ちよさを味わうことができると思うが、それができなくて残念な気持ちだ。
肉眼では見えなかった妙高の連峰ですが、写真のコントラストをいじってみたらうっすらと出ている。私の目が悪くなったのかと、愕然としている。
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