2018年06月11日
阿弥陀さんに会いに行くドライブ旅行18 浄土寺境内
かねてよりの念願だった極楽山浄土寺、名古屋から来るにはやはり車でないと大変だということを実感。来るまで来てよかったぁという気持ちで到着しています。そして感激。
駐車場に車をおいて境内に入ります。本当は敷地としてはかなり広いのでしょうが、伽藍のあるところはその一部ではないかと思います。
画像は、駐車場を背中に浄土堂を見ています。これからこのお堂の中においでになる阿弥陀三尊にお会いにに行くのですが、境内は駐車場よりも一段高いところにあり、どこかから上がっていななくてはならないようです。
右手に、境内の案内図があります。この境内あ案内図によると”本堂”という名前のものはなく”浄土堂”それを兼ねているように思えます。また”開山堂”がありますが、この浄土寺は重源が開山したことで、東大寺とは深い関係にあり、その縁で快慶が阿弥陀三尊の制作に携わることになったとのことです。
そして、薬師堂もありますが、浄土教の普及する前ということなのでしょう、薬師如来も一緒にということで薬師堂も配置されています。
案内図を正面に左(上の画像)から入るか、右から入るかなのですが、私達は右から入ることを選択し、下の画像のように境内を左上に見ながら、農家と境内の間を歩いていきます。
そして、突き当たりに来て左の階段を上がります。
上の画像が階段を上がりきったところです。境内は思いのほか広くなかった。
この画像には写っていませんが、この画像の右手で若い女性が2人談笑していました。でも、静かなところです。まだ拝観者はいないように思います。
境内の高いところに上がってから、少し右手に歩きます。上の画像はそこでのショットで、向こうに薬師堂が見えています。
阿弥陀如来がいるお寺では、多くの場合薬師如来もいるのですが、それがいないところがたくさんある。親鸞の浄土真宗では薬師如来会いないなぁ。。。親鸞の恩師の法然の浄土宗はいるところといないところが混在してますが。。。(私の思い違いかな・)
その薬師堂を背中に振り返ると”浄土堂”が見えます。なんか建物の形が違うよ。。。
境内を反時計周りに回っています。薬師堂の左には”不動堂”があります。多分不動明王が安置されているものともいますが、見ることはできませんでした。
そしてさらに左に行くと”八幡神社”の説明板が出てきます。この寺は、明治のときの廃仏毀釈による弾圧はなかったようですね。おかげで神社が同席しているし、おかげで浄土堂や阿弥陀三尊など国宝(今になって)が壊されることがなかったのは、本当に良かったと思います。
この画像の右手に写っている建物は”収蔵庫”です。
八幡神社の狛犬さんです。やっぱり寺の中の狛犬って、なんか違和感あるなぁ。。
狛犬、拝殿を背中に行き鳥居を出たところで振り返って、唖然。とんでもなく背の高い気が生えているではないですか?なんでなんで????鳥居がダブっているように見えないこともないけど。
時sンジャの左を向くと浄土堂どうですが、帰ってきて写真の整理をしていたんですが、何故かどれもこれも正面のショットはいいものがなく掲載を断念します。
そのかわりに、45度右に移動したところのショットを掲載しています。この形は年とではあまり見かけないですねぇ。何となく、この浄土堂の建て方は知っている本堂などの建て方と違うような気がしますが。。
一般的に阿弥陀さんは西の国の仏さんなので東を向くか、南を向くことが多いので、その阿弥陀さんを収納するお堂も東向きもしくは南向きが多いもので、ここは阿弥陀如来の基本通りに東を向いています。
つまりは、西の国からお迎えに来るということを示しているのでしょう。そして、さらにはこの建物の素晴らしいものの一つ「夕日を背中に」ということが自動的に選択できるわけです。
今回の度は午前中の拝観ということで、夕日とは無縁でしたが、季節によっては夕方に訪れると、この浄土堂の中は夕日にあえて真っ赤になると聞いています。それ選択席なかった私は残念な思いもあります。
さて、これから中に入ります。その中の話はこちらをお読みください。
拝観を終えて、駐車場に戻ります。上がってきた階段とは反対側の階段からおります。そして下りきって振り返ったショットが上の画像です。
駐車場の前に戻ってきました。
約1時間の拝観でした。その大半を浄土堂内で過ごしました。
車に戻り、三木に行きます。
駐車場に車をおいて境内に入ります。本当は敷地としてはかなり広いのでしょうが、伽藍のあるところはその一部ではないかと思います。
画像は、駐車場を背中に浄土堂を見ています。これからこのお堂の中においでになる阿弥陀三尊にお会いにに行くのですが、境内は駐車場よりも一段高いところにあり、どこかから上がっていななくてはならないようです。
右手に、境内の案内図があります。この境内あ案内図によると”本堂”という名前のものはなく”浄土堂”それを兼ねているように思えます。また”開山堂”がありますが、この浄土寺は重源が開山したことで、東大寺とは深い関係にあり、その縁で快慶が阿弥陀三尊の制作に携わることになったとのことです。
そして、薬師堂もありますが、浄土教の普及する前ということなのでしょう、薬師如来も一緒にということで薬師堂も配置されています。
案内図を正面に左(上の画像)から入るか、右から入るかなのですが、私達は右から入ることを選択し、下の画像のように境内を左上に見ながら、農家と境内の間を歩いていきます。
そして、突き当たりに来て左の階段を上がります。
上の画像が階段を上がりきったところです。境内は思いのほか広くなかった。
この画像には写っていませんが、この画像の右手で若い女性が2人談笑していました。でも、静かなところです。まだ拝観者はいないように思います。
境内の高いところに上がってから、少し右手に歩きます。上の画像はそこでのショットで、向こうに薬師堂が見えています。
阿弥陀如来がいるお寺では、多くの場合薬師如来もいるのですが、それがいないところがたくさんある。親鸞の浄土真宗では薬師如来会いないなぁ。。。親鸞の恩師の法然の浄土宗はいるところといないところが混在してますが。。。(私の思い違いかな・)
その薬師堂を背中に振り返ると”浄土堂”が見えます。なんか建物の形が違うよ。。。
境内を反時計周りに回っています。薬師堂の左には”不動堂”があります。多分不動明王が安置されているものともいますが、見ることはできませんでした。
そしてさらに左に行くと”八幡神社”の説明板が出てきます。この寺は、明治のときの廃仏毀釈による弾圧はなかったようですね。おかげで神社が同席しているし、おかげで浄土堂や阿弥陀三尊など国宝(今になって)が壊されることがなかったのは、本当に良かったと思います。
この画像の右手に写っている建物は”収蔵庫”です。
八幡神社の狛犬さんです。やっぱり寺の中の狛犬って、なんか違和感あるなぁ。。
(結構たくさんあるんですが、私には違和感があるんです)
狛犬、拝殿を背中に行き鳥居を出たところで振り返って、唖然。とんでもなく背の高い気が生えているではないですか?なんでなんで????鳥居がダブっているように見えないこともないけど。
時sンジャの左を向くと浄土堂どうですが、帰ってきて写真の整理をしていたんですが、何故かどれもこれも正面のショットはいいものがなく掲載を断念します。
そのかわりに、45度右に移動したところのショットを掲載しています。この形は年とではあまり見かけないですねぇ。何となく、この浄土堂の建て方は知っている本堂などの建て方と違うような気がしますが。。
一般的に阿弥陀さんは西の国の仏さんなので東を向くか、南を向くことが多いので、その阿弥陀さんを収納するお堂も東向きもしくは南向きが多いもので、ここは阿弥陀如来の基本通りに東を向いています。
つまりは、西の国からお迎えに来るということを示しているのでしょう。そして、さらにはこの建物の素晴らしいものの一つ「夕日を背中に」ということが自動的に選択できるわけです。
今回の度は午前中の拝観ということで、夕日とは無縁でしたが、季節によっては夕方に訪れると、この浄土堂の中は夕日にあえて真っ赤になると聞いています。それ選択席なかった私は残念な思いもあります。
さて、これから中に入ります。その中の話はこちらをお読みください。
拝観を終えて、駐車場に戻ります。上がってきた階段とは反対側の階段からおります。そして下りきって振り返ったショットが上の画像です。
駐車場の前に戻ってきました。
約1時間の拝観でした。その大半を浄土堂内で過ごしました。
車に戻り、三木に行きます。