2023年04月16日

仏像を彫る なぜ? その3・官製の仏像の建立

 高校の日本史の授業の中で、大学の日本美術史の授業の中で、国宝などの仏像の建立・造営のいわれをいくつか聞いていましたが、さほどの重要性は考えることはありませんでした。一方で、自分で仏像を彫るようになり、実は円空仏を彫り始めて数年後から、室生寺の十一面観音の模刻をしたり、それにならって自前の十一面観音を彫ったりもするようになっていたのですが、あくまでも趣味として仏像もどきを彫っているに過ぎなかったのです。まだ祈りを込めてなんていうことは全くありませんでした。
 自分で仏像を彫ると言っても、趣味で仏像の模刻というだけのことだったのが、義弟の病のことで、初めて祈りを込めて彫るということをしたのです。仏像を彫るということで、その仏さんに助けてもらうということではないのですが、私自身の気持ちとして、なんとか立ち治って欲しいという思いを込めていたのです。

 この時の後に思ったこと。「世にある仏像は何故彫られたのか?」人間が何かを作る時には、それなりの理由が存在することは間違い無いと思います。食事を作るにしても「誰かのため」とということもあるでしょう。それと同じことが、次元は違うかもしれないけれど、仏像を作るということにはそれなりの理由があると思うようになったのです。
 例えば、東大の大仏は、当時の社会的不安を解消するために聖武天皇の発願で、全国に国分寺、国分尼寺を作りその総まとめとして東大寺が建立され、その中に本尊としての盧舎那仏が安置されたといわれています。また西ノ京の薬師寺は、天武天皇が皇后 鵜野讃良皇女(後の持統天皇)の病気平癒を祈念しての建立、さすがの薬師様と言ったところです。このように天平から奈良時代にかけての寺院建立は、世の平安や病気平癒を願うものが多く、当然本尊となる仏像はその祈念の意味合いを持つものが選ばれていのではないかと思っています。
 かなり時代は下りますが、平安後期から鎌倉時代にかけて、特に末法思想の盛んな時代にはかなりたくさんの寺院が建立され、その中には阿弥陀如来像が安置されることが多くあります。それは親鸞誕生の時代が含まれるわけですが、その親鸞研究の中で思ったことは、阿弥陀如来造像は治安や病気平癒の祈念という祈りではなく、浄土思想の中での”浄土”に迎えられることを祈るもしくは、寺、阿弥陀像を建立うることで功徳を積むつと同時に擬似的にその浄土を思う環境を作りその中に収まり自己満足するという貴族趣味では無いかと思います。
 こうして見てきて寺院、仏像の建立は、平安中期くらいまでは官製、つまり資金的に国などのものを使っても建立が多いものと思います。一方で、平安中期以降の末法思想の中での建立は、藤原氏の系統の貴族たちの個人的な建立が多いものと思います。またその後の室町、戦国時代での建立は貴族に変わった有力武士の資金的援助で作られているものが多いと思います。
 源平の抗争の最中に、奈良は平重衡の悪行で多くの寺院が焼き討ちにあい、多くの資産を失っていますが、鎌倉時代に当時の権力者源氏・鎌倉幕府の支援で、現在国宝と言われる仏像が多く作られています。
 こうして寺院建立にはかなり莫大な資金が必要であると同時に、官製での建立は建立した寺には一般市民が参拝できる環境にはなかったのではなかったもしくは少なかっただろうかと思うのです。参拝できたとしても、寺は下より仏像を作る力はとてもなかったでしょう。
 金持ちだけの、権力者だからこそできる仏の造像、そしてその参拝。一般市民は蚊帳の外だったではないだろうかと。

 浄土思想が広がり、浄土宗や浄土真宗が力をつけて、これまたそれなりの権力を持って寺が作られたりして、本山ではそれなりの仏像が作られたと思います。
 しかし一方で、現時点で国宝と言われるような仏像の造像が少ないのではないかと思っています。仏像の造像には、仏師と言われる人の力を必要とし、金銭的、権力的に力のある貴族や武士が平安時代の定朝系統の仏師、鎌あくら時代を中心にした慶派の仏師に造像を依頼した。金があるから、権力があるから質の良い仏師を囲い込みができたのだろうし、それを目的に技術を磨いた仏師も多かったのかと思います。

 私が思うに、末法思想の流行の終了以降、これと言った有名な仏像が残っていない。存在するのだろうけれども、国宝と言われるほどのレベルものではないのかもと思ったりもします。
 しかし、仏像の造影は無くなったわけではないはずです。好みの問題かとも思うのですが、現時代において国宝ではないものの重要文化財としての仏像はそれなりに残されています。
 浄土教の寺院の本山には、国宝と指定されている像も少なくありません。また重要文化財レベルのものもたくさん存在します。

 末法思想流行の時代の寺院建立、仏像造像は、貴族などの浄土往生の願いが込められていると思うのですが、室町以降の浄土教の寺院の仏像に、過去と類似する祈りがあるのかと疑問を持っています。知恩院、東西本願寺本山、阿弥陀仏が主体ではなく、法然や親鸞の御影といわれる彫像が大きな意味を持っています。ここには過去の仏像への思いとは違ったものが存在していると私は思っています。


次回は

仏像を彫る なぜ? その4・民間の仏像の造像と円空仏




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仏像は何故彫られたか
仏像を彫る なぜ?

その1・仏教との出会い
その2・親鸞研究を経て円空仏との出会い
その3・官製の仏像の建立
その4・民間の仏像の造像と円空仏


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