2006年12月12日
マイ旅 16 芭蕉句碑・上越市
通称マイナーといわれているところにも、メジャーなものがいっぱい存在します。ただそれがそこに存在していることが世に知られていないということのようです。
『奥の細道』といえば、日本の歴史、文学特に俳句の世界、紀行文の世界ではとにかくメジャーなもののひとつでしょう。しかし、その句碑が立っているところをどのくらいの人がご存知なのかという疑問があります。
かくいう私は、時代物の文章にとにかく弱いので、それに俳句は全くといっていいほど興味を持たないので、『奥の細道』などどこをどう芭蕉が歩いたのかということすら知らない人間です。その興味のない人間が、たまたま上越市(直江津)に行ったときに、先回紹介した「安寿と厨子王」の供養等を見つけたり、この芭蕉の句碑とも出会っています。いずれも偶然のなせるものです。
この句碑に刻まれている句は
文月や六日も常の夜には似す
です。
実は、上越市には、芭蕉の句碑が 9箇所あるといわれていますが、この句碑は1827年(江小戸末期ですね)に建てられたものということです。同じ句の碑が、この他に2箇所ありますが、いずれも昭和の時代に立てられたもののようです。
この句碑は、先回紹介した 『安寿と厨子王』の供養等のほんの少し離れた(同じ敷地といってもいいかな)琴平神社の中にあります。
地図はこちら
『奥の細道』といえば、日本の歴史、文学特に俳句の世界、紀行文の世界ではとにかくメジャーなもののひとつでしょう。しかし、その句碑が立っているところをどのくらいの人がご存知なのかという疑問があります。
かくいう私は、時代物の文章にとにかく弱いので、それに俳句は全くといっていいほど興味を持たないので、『奥の細道』などどこをどう芭蕉が歩いたのかということすら知らない人間です。その興味のない人間が、たまたま上越市(直江津)に行ったときに、先回紹介した「安寿と厨子王」の供養等を見つけたり、この芭蕉の句碑とも出会っています。いずれも偶然のなせるものです。
この句碑に刻まれている句は
文月や六日も常の夜には似す
です。
実は、上越市には、芭蕉の句碑が 9箇所あるといわれていますが、この句碑は1827年(江小戸末期ですね)に建てられたものということです。同じ句の碑が、この他に2箇所ありますが、いずれも昭和の時代に立てられたもののようです。
この句碑は、先回紹介した 『安寿と厨子王』の供養等のほんの少し離れた(同じ敷地といってもいいかな)琴平神社の中にあります。
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