2009年06月24日
小栗橋から金山橋 名古屋を歩く 鈴木バイオリンなど
今日は、実家からの帰り金山まであることにした。
中川運河の来たら3つめの橋=小栗橋を渡り東に直進。細い道、昔のままなのだ。ここには日本での有数、有名なバイオリンメーカーがある。「鈴木バイオリン」という会社。私が生まれる前からあるみたい。
日本でバイオリンというと必ず名前が出てくる会社だ。おそらくこんなところにあると走る人でないとといったか何時かもしれない。
右の写真は、上の写真の中央から中を見たところに見つけた銅像。多分創業者の鈴木社長ではないかと思う。かなり前からあったように思うけど。
今は前に無粋なものが置いてあったのが気になる。
実は、どの位の方がご存じなのか分からない。名古屋は結構楽器やら時計のメーカーがあったところ。堀川沿いに材木を扱うところが多かったことで、置き時計や楽器のボディーを作る材料が手に入りやすかったと言うことなのかもしれない。
今は時計メーカーさんはほとんどなくなったみたいだけど、私の同級生の家は時計メーカーの社長だった。小学校の時に、そこの工場の見学に行った記憶もある。
楽器では、ギターで有名は春日楽器も元は名古屋、六反小学校の近くです。(民社党の親分だった春日一幸さんのご実家でなかったっけ?)
この通りを真っ直ぐ行ったところで、自転車に子供を乗せた女性に声をかけられる。「小さい子供を見なかったか?」と。残念な柄子供の姿は見ていない。血相を変え、涙ぐんだ表情からは子供さんが行方踏めになったらしい。「警察に電話した方がいいよ」と話していたら、後ろから来た男性が「子供なら小栗橋の向こうで、女性が連れて歩いていた」と。まさか誘拐ではないと思うが。九段の女性は自転車にもう一人の子を乗せて急いで小栗橋の方に。無事見つかるといいのだが。
そのまま道を直進、といっても道なりにくねくね行く。戦争で広見学区はかなり焼けたけど、このあたり露橋学区は焼けていないせいか、昔のまんまらしい。チョット曲がったところで二つの神社のなが掲げられた祠に出会った。名鉄の山王駅から歩いて5分から10分の間のところ。そんなところにこんな空間があるとはねぇ。
柳原橋の南北の通に突き当たって、少し南の道を東進。どこもかしこも何となくのんびりしている。昔は、名古屋=中日球場をドラゴンズが本拠地としているときは、シーズン中は人がいっぱいいたところ。今は本拠がドームに移ったので、閑古鳥が鳴いている。たくさん店が潰れたみたいだ。これも時代の流れ。
さて、線路の下をくぐらねばならない。いくつかあるが、一番高さの低いところを通ることにした。ここでうまくいけば新幹線がとれないかと画策。。。残念ながら逆行なのであきらめた。それにすれ違う人が変な目で見ていくからもあって止めた。
といいつつ順光のところで中央線をショット。しかしケイタイは早いやつは苦手なのだ。ボタン押してからシャッターが切れるまで時間かかるからどうしてもミスショットになる。 悲し
ここはおもしろいところで、ここの少し南で中央線が東海道線の下に潜り込むところ。
昔々、小学校の5年の時。新婚早々の恩師のお宅に悪友と行くことになったのだが、線路を越える場所が分からず、東海道線、中央線を歩いて乗り越えたことがある。今は金網があるのでできないが、昔は電車の本数も少なかったし、人が簡単に入れたので、怖いもの知らずで、止むに止まれずやってしまった。もう50数年も前の話。
ここから山王中学の横を通り、古渡橋を渡って東進。そして、八幡社に詣でた。(これは別に書きます)
中川運河の来たら3つめの橋=小栗橋を渡り東に直進。細い道、昔のままなのだ。ここには日本での有数、有名なバイオリンメーカーがある。「鈴木バイオリン」という会社。私が生まれる前からあるみたい。
日本でバイオリンというと必ず名前が出てくる会社だ。おそらくこんなところにあると走る人でないとといったか何時かもしれない。
右の写真は、上の写真の中央から中を見たところに見つけた銅像。多分創業者の鈴木社長ではないかと思う。かなり前からあったように思うけど。
今は前に無粋なものが置いてあったのが気になる。
実は、どの位の方がご存じなのか分からない。名古屋は結構楽器やら時計のメーカーがあったところ。堀川沿いに材木を扱うところが多かったことで、置き時計や楽器のボディーを作る材料が手に入りやすかったと言うことなのかもしれない。
今は時計メーカーさんはほとんどなくなったみたいだけど、私の同級生の家は時計メーカーの社長だった。小学校の時に、そこの工場の見学に行った記憶もある。
楽器では、ギターで有名は春日楽器も元は名古屋、六反小学校の近くです。(民社党の親分だった春日一幸さんのご実家でなかったっけ?)
この通りを真っ直ぐ行ったところで、自転車に子供を乗せた女性に声をかけられる。「小さい子供を見なかったか?」と。残念な柄子供の姿は見ていない。血相を変え、涙ぐんだ表情からは子供さんが行方踏めになったらしい。「警察に電話した方がいいよ」と話していたら、後ろから来た男性が「子供なら小栗橋の向こうで、女性が連れて歩いていた」と。まさか誘拐ではないと思うが。九段の女性は自転車にもう一人の子を乗せて急いで小栗橋の方に。無事見つかるといいのだが。
そのまま道を直進、といっても道なりにくねくね行く。戦争で広見学区はかなり焼けたけど、このあたり露橋学区は焼けていないせいか、昔のまんまらしい。チョット曲がったところで二つの神社のなが掲げられた祠に出会った。名鉄の山王駅から歩いて5分から10分の間のところ。そんなところにこんな空間があるとはねぇ。
柳原橋の南北の通に突き当たって、少し南の道を東進。どこもかしこも何となくのんびりしている。昔は、名古屋=中日球場をドラゴンズが本拠地としているときは、シーズン中は人がいっぱいいたところ。今は本拠がドームに移ったので、閑古鳥が鳴いている。たくさん店が潰れたみたいだ。これも時代の流れ。
さて、線路の下をくぐらねばならない。いくつかあるが、一番高さの低いところを通ることにした。ここでうまくいけば新幹線がとれないかと画策。。。残念ながら逆行なのであきらめた。それにすれ違う人が変な目で見ていくからもあって止めた。
といいつつ順光のところで中央線をショット。しかしケイタイは早いやつは苦手なのだ。ボタン押してからシャッターが切れるまで時間かかるからどうしてもミスショットになる。 悲し
ここはおもしろいところで、ここの少し南で中央線が東海道線の下に潜り込むところ。
昔々、小学校の5年の時。新婚早々の恩師のお宅に悪友と行くことになったのだが、線路を越える場所が分からず、東海道線、中央線を歩いて乗り越えたことがある。今は金網があるのでできないが、昔は電車の本数も少なかったし、人が簡単に入れたので、怖いもの知らずで、止むに止まれずやってしまった。もう50数年も前の話。
ここから山王中学の横を通り、古渡橋を渡って東進。そして、八幡社に詣でた。(これは別に書きます)
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この記事へのコメント
こんちは
鈴木バイオリンは有名ですが
ここにあると知っている方は少ないようです
ここから東の露橋学区は戦前の建物が
まだ沢山残っていますね
中日球場周辺も開発に取り残されて閑散と
しています
球場の跡地に建ったドラゴンズの独身寮
は日曜日には沢山ファンが集まってます
その東がわが母校山王中です
名古屋駅から10分かなり田舎です(^^;;;
鈴木バイオリンは有名ですが
ここにあると知っている方は少ないようです
ここから東の露橋学区は戦前の建物が
まだ沢山残っていますね
中日球場周辺も開発に取り残されて閑散と
しています
球場の跡地に建ったドラゴンズの独身寮
は日曜日には沢山ファンが集まってます
その東がわが母校山王中です
名古屋駅から10分かなり田舎です(^^;;;
Posted by Oisikun at 2009年06月26日 15:28
おやおや、山王のご出身ですかぁ。
私も学区は山王ですが、行ったことがないんです。息子はここで1年世話になりました。
私も学区は山王ですが、行ったことがないんです。息子はここで1年世話になりました。
Posted by 生田 at 2009年06月26日 21:54